あかんたれブルース

継続はチカラかな

彼のようにはならない

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生死観と性愛観(3)


乃木希典の話をしたいと思います。

このブログでは「マー君」でお馴染みです。

可哀想な少年でした。
感受性が豊かで、優しくて、それがゆえに気弱なマー君

母親がヒステリック症で虐待を受けていた。
萱の留め金で叩かれて左を失明し、父親の左遷で故郷に帰ると
余所者としてイジメに遭う、そんな少年。

腕力なんてからっきし、意気地がありません。そういうのを好まない。
詩文、文学の世界で生きて往きたかった。

それを周囲の大人は許さない。高圧的に彼を軍人に仕立てようとします。

第二次長州征伐に従軍して負傷して、左足をビッコするようになる。
その後、親戚のツテで陸軍に裏口入学
でも、彼は自分が軍人に向かないことを知っていました。

西南戦争で軍旗を奪われてしまいます。
これが彼を生涯苦しめる「恥」となってしまいます。
そんなことを考える軍人は当時いませんでした。

彼が受けた教育は同じ世代と比較して二世代古いものでした。
というのは彼の先生は吉田松陰の先生だったからです。
質素、倹約、勤勉
時代遅れの軍人さんです。

乃木は困ったことがあるとすぐに死んでしまいたくなります。
それですべてを解決させてしまいたくなる。
悪い癖です。
悪い癖なのに、それを美学と勘違いしてしまう。
武人とは、軍人とは、男とは、そういうものだと勘違いしていたのですね。

それとも、ただ死にたかったのかもしれない。

乃木はカタチに憧れる。

ドイツの煌びやかな軍用様式に憧れたり
薩摩型のリーダースタイルに憧れたり、そして模倣します。
彼の心の空洞をそれで埋めようとするのです。

予備役となって、なんら輝かしい足跡も残さぬままに
長州閥の平凡な軍人の人生が終わろうとしていました。
そこに日露戦争が勃発し、彼は旅順要塞攻略の司令官に抜擢される。

しかし、その戦場は地獄だった。

優しい乃木には耐えられないものでした。人が死ぬのです。
万を超える人が死んでいく。傷ついていく。
それがいつまで続くのかわからない。

乃木はまた死にたくなってしまいました。

その司令官であることよりもなによりも
死にたくなってしまう。



明治に生きた乃木希典という人間は
聖将とか仁将とか、はたまた愚将ともいわれますが
現在の私達に似ている人物です。

生死観を話すなかで、生にばかりこだわる風潮に対し
死の重要性を説こうとしてしまうのですが、
誤解をされそうになるので、乃木の話を蒸し返しました。

なにか問題があったときに
死を覚悟するのはかまわない。けれども
死で決しようというのはよろしくない。綺麗でもなんでもない。

カッコ悪くてもかまわない。


勇気をもって往こう。

必ず、
だれかがみている。