あかんたれブルース

継続はチカラかな

気持ちいい〜

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生死観と性愛観(7)


以前も記事にしたのですが
気持よく生きる。たとえば「忠恕」というような
己に忠実に生きることっていうのが良い生き方なのだと思う。
問題はその「己」というものですけどね。
これがなかなか難しい。
短足おじさんは「幸せ」の連動記事(手と声の輪)で
「足を知る」をあげておられた。
これをもっと掘り下げれば、己を知るということでもあります。

若い頃、もっと小さい頃、それは自我が目覚めた頃でしょうか。
自分というものを不思議に感じたとき。
この世でたったひとりの自分を知ったとき。

己を知るということは、己の生まれた意味と
つまりは存在価値というか役割を考えていくものです。
それがついつい日々の日常の現実に流されてしまうのも常です。

時代がかった言い方をすれば、天命を知る。
ってやつですね。

気持ちよく生きるっていうことは
そういうなかにあり、美しく生きるってことでしょう。
エステとかスタイリッシュな表面的なことじゃありませんよ(汗)。

それでも、そんな綺麗事じゃあ世の中じゃあ通用しない。
という声をよく聞く者です。
こういうことを言う大人よりも、もっと先輩で清水雅という方の
「悪いことができない人より、悪いことができて
 悪いことをしない人が成功する。実業界というものはこうしたものです」
という言葉のほうに説得力を感じないだろうか。

清水雅は小林一三の門下生で
阪急グループ総帥だった人物で「東宝中興の祖」と謂われた実業家。
そんじょそこらの上司じゃあない。
綺麗事とかじゃなくて、この言葉には含蓄があります。

綺麗に生きる。往きたいよね。
なんにせよフェアで往きたい。それじゃダメ?
正直者はバカをみる? バカじゃいけないのか。

これも昔紹介したかもしれませんが、つ〜たんの記事から
プロの勝負師「伝説の雀鬼桜井章一」の段
http://blogs.yahoo.co.jp/tuuutan/45988361.html
数年前に単行本が文庫化されたので読んだ人もいるかもしれません。
彼の麻雀というか人生観が「美しい在り方」であると思う。
そして、それが最強なのだ。

そういう気迫ってものが必要なんだと思います。

今年の全日本剣道選手権の決勝で見事な「面」が一本となりました。
しかし、この面。当たっていない。
誰がみてもVTRのそれは外れている。
しかし、それは見事な一本であると、剣道関係者は認める。
剣道は当たればいいという競技ではない。
チャンバラではないのです。
そのタイミング、そして気迫と姿勢がすべてなんだな。
これは外国人の方々にはなかなか理解できないかもしれませんが、
剣道はスポーツじゃないのです。

人生もスポーツじゃないし、競技でもない。