あかんたれブルース

継続はチカラかな

倒錯したる。

生死観と性愛観(21)


混乱しているのはわたしだけではない。

よじれて絡まってしまった愛の糸を解きほぐすには
一度リセットしてみるしかない。
けれども、私達は性急すぎてそれを今の状態のままで咀嚼しようとする。
すべてはそれが間違いなのだ。

掛け違えたボタンは、一度ほどいて
最初からはじめてみるしかないのです。
かといって、別に夜這いの制度を復活させようとか、
現在の結婚制度を廃止しろとかいっているのではありません。

何かが間違っている。

たとえば、愛は素晴らしいという。

けれども、同時に愛は切なく苦しいともいう。

私達はそのどちらも頷くしかない。

素晴らしい愛に、禁断の愛があっていいものなのか?
1967年に千昌夫が歌い大ヒットした「星影のワルツ」
「別れることはつらいけど仕方がないんだ君のため」

なぜ仕方がないのか? 借金か? 親が反対したのか? 何かがあったんだあああ!
作詞は白鳥園枝ということですが、
この歌詞には同和問題が潜んでいるという噂もあります。
なるほどそれなら合点がいきました。禁断なのね。
しかし、そういったのは人間が作りだした仕組みだ。
その愛はその仕組みよりもやわなのか?
「冷たい冷たい心じゃ ないんだよ 今でも好きだ 死ぬ程に」
死ぬほどだったら、なんでもできるんじゃないのかな?
口ではそういっているけれど
自分を、相手を、信じ切れないってこともあったんではないか。
愛し合っているのなら、共に苦労を背負っても幸せってもんじゃないのか?

借金が、世間体が、儒教的精神が、その愛を凌駕するとすれば、

その愛は、偽物だ。

ワルツなんて踊って誤魔化さないでほしいね。ふん!

「まあ、なんて非道い!」

だってそうじゃないか。
愛してる。っていうのは「死んでもいい」って訳すって
二葉亭四迷はいったそうですが、わたしも同感。
キリスト教は自殺を禁じてますが、日本は宗教無法地帯ですから
「心中」ってものもある。

「まあ、なんて不道徳な!」

いや、まてよ。別にわたしゃ心中を推奨してるわけじゃない。
宗教のしがらみがなければ、心中って方法は一番手っ取り早く
永遠の愛を得られる方法だってことです。
だから、魅了されるんだろうな、って思うのです。
そのかわりミスったら男は遠島、女は遊女にされるか非人にされる。
それぐらい幕府も肝を冷やした奥の手なのだ。

愛に死と生が密接に関係している。
少なくともそれが本気モード全開ならば未練たらしくワルツは踊らない。

ハルジオンさんが男と女では出産の意味合いが違うといっていた。
男はやりっぱなしでも可だけれど、女の場合は情交のあとで妊娠したら
即そのあとで状況が一転する。そこには死というリスクも伴う。
そうだろうと思います。
だから、
「馬太郎・・・あなたの子供を生みたい」
なんて口説かれれば男子の本懐ではないのだろうか。
それを男が
「お前に俺の子を産ませたい」といっても50%オフ、それ以下でしかないわけだ。
下手したらアホじゃないか?が関の山だ。

エロティシズムというものを色気とした場合に「一途」だと記しました。
こういったリスキーなところに一途があって色気があって
エロティシズムの熱狂があるんじゃないだろうか。
ワルツじゃだめなんだ。
いざとなったら死ぬ。死ぬきでやる。
これはね、坂の上の雲の主人公の一人、秋山好古もいっている。
「人間は常に死ぬ覚悟を持っていなければならない」しかしだ、
「それを堪え忍ぶ、その積み重ねが大事」とも付け加えております。
死ぬのは簡単なんだ。生きることのほうがもっと大変。
だから、心中って行動もお手軽なものである。となる。

芝生の上に若い男女がいます。
馬太郎と真木よう子カップルだ!(若くはないな(汗))
青い空、天気が良い。気持ち良い。馬太郎君は背伸びして
体を後に倒したら、そこに犬のウンコがあった!
哀れ、馬太郎の後頭部には大型犬のウンコで湿布状態。しかもほやほや温湿布。
臭うし(涙)
「もう、百年の恋も冷めちゃう!」
馬太郎愕然!真木よう子破局日刊ゲンダイ12月17日付)

これをウンコのせいにしてはいけない。飼い主のせいは少しはあるが。
要は、真木よう子の愛が足りなかったのだ。

「あなたの子供を生みたい」に匹敵する殺し文句があります。それは、
「あなたの介護をしたい」

介護というのはウンコの世話です。
百年の恋が冷めるどころじゃない。毎日ウンコです。
ここにエロティシズムがあるのだ。
そして、これは男女両方に活用できるはずだ。

では、よう子を口説きおとしてきますね。愛のリベンジ!

「よう子、おまえのウンコを・・・」
変態!

とほほ(涙)