あかんたれブルース

継続はチカラかな

怒ると叱るの間で困ってる

喜怒哀楽の「怒」(2)


ちょっと前の啓蒙本には
子供には怒るのではなく叱る。とかありましたね。
誠にごもっともなことだ。
言葉のニュアンスで考えるヒントになる。

ところが、
このヒントも現代人には「怒る」の封印だけになってしまっている。
困ったものだ、例の言葉狩りの類ですかね。

わたしも以前、感謝の気持ちを「ごめんなさい」ではなく
「ありがとう」と表現しようという記事を書きました。ところが、
先日、満に聞いた話では、
郵便配達員の方に「御苦労さま」といっては失礼とされると聞かされた。
「ありがとう」と表現しなければいけないのだそうです。

えっ!

上から目線なんだってよ。
目から目ヤニです。万歳しちゃったな。

そこで、わたしの「有り難うの効用」と
この「屁理屈被害者妄想論」と
同列にしないでくれまえ。頼むよ(涙)
ごめんなさいっていってもいいから。どうか御苦労様を封印しないで!

さて、この叱る。
これが自分の子供だから使用できますが、
他人様には到底できない。だろ?
そりゃそうです。これこそまさに上から目線です。
学校の先生でさえも注意してないといつ何時、保護者は来るぞ・・・

男女差別が口やかましい世の中ですが
恋人とか夫婦間で、男から女に対して叱るはギリギリセーフかな。
それさえもブーブーいう人もいますが、わたしに言わないで
そういうカップルに言いなさい。わたしは知らない(怒)!

叱ってほしい、女性もいるわけだ。
上からだろうが、何だろうが、そこに愛情とか信頼関係があるんでしょうね。
ちょっと古い恋愛ドラマだとダダを捏ねる恋人(女性)に
「バカ!」といって平手打ち、そいでワーッて泣いて抱きしめて
二人の愛が深まり育まれた、の図は定番だったものです。いまでも?
これなんぞは怒りと叱るの間でしょうかね。

叱るは、「注意」「諭す」「説く」よりも感情的な領域に入っている。

怒る>叱る>注意>諭す>説く・・・・>無関心

って図式ですかね。

けれども叱るには上から目線注意報が出ているので
使用できるのはごく限られています。

ギリギリのボーダーは「注意」ぐらいなんだな。


さて、「怒」はマジでやばいのか?

>世に道徳とは喜怒哀楽を一切しないことと
>考える人が多いが決してそうではない。
                     孔子安岡正篤からむっしゅのコメントより)

とかく「怒」は問題児です。短気は損気と申します。
んんっ、損気・・・?

なんだ、お前達は損得で判断しているのか・・・  
      



まだまだつづく