あかんたれブルース

継続はチカラかな

喜びの暴力

暴力を考える(1)


暴力は腕力だけではありません。
様々な暴力がある。
それはパワーというエネルギーであって
パワハラとか、セクハラとか)
それを発することに喜びを感じる、人がいる。
場合が、ある。

また、その逆も存在します。

その喜びの発火点には意志というか欲求がある。
それを通すために暴力を用いる。
それで成就できたら、嬉しいわけだ。

世の中はそうそう思い通りにはならい。だから
ジレンマ苛立ちストレスが生まれるものです。
それを暴力で解消しようという算段ですかね。

解決するしないは二の次かもしれません。

DV男のことで以前JJ.と語ったことがあります。
JJ.は「ハートの弱さ」と喝破しましたが
誠にそれに尽きる、納得です。

力で相手をねじ伏せる、従える、繋ぎとめようとする。
力で認めさせようとする。
下手な手法です。
それしかないんだな。他になにもない。
自信がないんだね。

問題は、それで相手が愛想をつかせばいいのですが
それを肯定してしまう、女性、なかには男性がいるから
これが暴力神話を駆除できないわけです。

人間には
どこかで力で支配されたいという願望がある。
束縛されたいとか、頼りたいとか。
これがひとつと、
やられる側が
相手の弱さを知っているが故に、
ほおっておけない厄介があります。
特にDV男とかはゆり戻しとかで暴力行使した後に
手の平を返したように反省したり懺悔したり
そういう飴と鞭を使い分ける。
ま、半分は本気、本音なんだろうけれど
アル中と同じで、また繰り返す。

そうやって腐れ縁とかになるんだろけど
加減がわからない馬鹿もいるので取り返しがつかないことも多い。
こういった相手に入れ込むタイプを
たとえば女性だったら母性の強さと考えてしまいます。
また、父親がDV男だと同じタイプを選ぶ場合が多く
心理学の世界では「障害」と査定するようですが

わたしは、なんとうかやり直したいというか
父親の面影を追って救ってあげたいという
せつなさを感じてどうにもやるせない。
天使とか聖母といってもいいし情が深いんだと思う。

けれども、結局それが故に相手を
追い込んでしまっていることにもなるし
(依存できる相手がいるから繰り返すわけだ)
それにその未練もまた、やられるほうの依存なんだろう。
別に依存自体は悪くはないけれど
相手のためというよりも自分が勝ちすぎているよね。
そこは個人個人の身の置き方修め方ってことで
ここではこれ以上は追求しません。
後の「楽しい暴力」を参照してください。


自分のことばっかり優先するのは下の下なのですが
はてさてどういうふうにすればよいやら・・・
ひとつは自立心とか自尊心の向上なのだけど
一朝一夕にできるものでもない。
死ぬ気で恋愛する。
たとえば、昔の人が常に辞表を胸に忍ばせて仕事していたように
恋愛するのなら常に胸にポケットに出刃を忍ばせて
イザとなったらズブッとやるぐらいの気構えが必要なのだと
思います。そのための法改正も必要でしょうが
死ぬ気で好きになったんだったら別に刺し違えていいじゃない。
中途半端に生きていてもつらいだけだしね。

ぐらいかなあ