暴力を考える(2)
これはもう額面通りで
なんら解説することもないのですが
ただ、いまどきの常識論では
これを戒めるものであり、
わたしとJJ.の論争のネタのひとつだ。
「力でねじ伏せてもなんら意味はない。解決しない」
とされています。
しかしだ、そこに意味が必要なのだろうか?
それを封印すれば、それは解決できるのか?
なんか無責任のように感じてしまうのだが・・・
たとえば、その怒りには意味がある。
一方的な低レベルな怒りもあるでしょうが
正当な怒りもあるでしょう。
たぶん、ここまでは譲ってくれると思う。
問題はそこで暴力を使うかどうかだ。
ではどうする?
話して諭して理解させて是正させるか。
それですめばそれでいいに決まっている。
そうならなかったどうするのか?
というか、すでにその犯行が起きていて
被害者は増えていっている。
その暴力を暴力で粉砕することは禁じ手なのか?
簡単にまとめると
空海は慈悲だけでは救えないと悟り
怒りの仏をもたらしました。
この話を聞いて、
わたしは空海ってすごい人だと思った。
以上
この件はここまで