あかんたれブルース

継続はチカラかな

楽しい暴力

暴力を考える(4)


なんか変なタイトルになってしまったなあ(汗)

で、暴力の反対語を、仮にですがセックスとしてみる。(おいおい)
愛し合うわけですから、近いかも。
先月の特集でこういった行為に現を抜かさないために
男色(ホモ)が信奉されていたって話をしましたが
60年代~70年代に流行ったヒッピー文化の
なかにあるフリーセックスは反戦とリンクしていて
これ即、戦争なし崩しの平和の方策とされたほどです。

母系社会の構築で、これには一理はあるのですが
これだけじゃあだめみたいです。
システムだけで仏造って魂入れず。
人間がついてこれなかった、のかもしれません。


  ちょっと待って!
  セックスと暴力がリンクしてレイプがあるでしょう。
  SMプレイだって暴力と無縁じゃない。

 
との声がする。空耳か?

はて、さて、そこでだ。
この矛盾を考えるうえでセックスの本質を問わねばなりません。

レイプは
行為としてのセックスであって
そこに愛はないので
行為以上のものとは認められない。

SMは
変態プレーとしてのものですが双方が同意の上ならば
そこに愛があれば、変態だろうがなんだろうが関係ありません。
人間性を問うことも
団鬼六という人格者の存在から
なんら問題にはならないでしょうね。

いやヒントはそこにある。
わたしは以前、セックスは刺激の方向・追求ではなく
リラックス・開放の方向・探求が正しいとした。
これが難しいのですが、刺激の方向性を求めると
結果は破滅するので、そうするしか手立てがないのだ。
で、これも横に置いて。


お互いが愛し合う行為の「正しいセックス」には
思いやり、慈しみ、大切にしたいと思う気持ちが在る。
なのですが、同時に
相手を殺してしまいたいという意識が芽生える。同時に
相手に殺されたという意識が芽生えます。
これは、なんだ?

暴力を欲しているってことじゃないか。

というか・・・暴力の反対語をセックスとしましたが
セックスはある種の暴力なのではないだろうか?
あれは摩擦ですよね。
肌と肌の、粘膜と粘膜の・・・

前回、暴力の暴の意味合いに
暴く(暴露する)と
暴れる(荒れ狂う)のふたつの意味がある。

この荒れ狂うは熱狂ですから、恋愛の必須
愛情の充満です。
こういった衝動に駆られるのは理解できなくもない。
母親は自分の子(ここでは赤ん坊・幼児)を
可愛いあまりむしゃぶりつきたくなる衝動があると聞きます。
わかる気がする。
幼児虐待とはまったく違う。


では、暴く、とは・・・なにか?

真実とか真理を暴こうとしているのではないか?
この究極の状態にこの世の真理がある、とすれば
生死の狭間の刹那にそれはある。

なんちゃって(汗)

いつもお約束で最後はテレてしまいましたが
この考察はある程度、的を得ていると思います。

喜びの暴力からつまらんものを篩いにかけて
大事なものを抽出するとすれば
「これ」、じゃないかなあと、思いました。