あかんたれブルース

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コロンブスの玉子丼

知性と意地悪(5)


昨日は神田のロイヤルホストで激論になった(汗)

テーマは組織論についてだった。

組織の必要性を訴える意見に対して
その効率効果に対する弊害を訴える。

わたしはどちらの意見にもそれぞれの理があると思う。
しかしだな、と

私達は民主主義とか資本主義原理のなかで
力としての数を頼りにしています。
でも、それはあくまでも表向きの話としてで
本当は数ほどいいかげんなものはない。

仕事とか、物理的な人員の不足というのはあるし
スケールメリットとか多数決のルールも否定しない。
なによりもその意見を通すなかで
どれほどの賛同者があるかは説得力となります。

でもね、それがゆえに数の力に依存し過ぎる傾向が多々ある。
「しょうがないじゃないか、世の中それで動いているんだから」
というかもしれません。

しょうがなくない。

そういった常識なんてあてにならない。

組織は、あくまでも手段であって
事を成す、目的は、組織を作ることではない。
組織を作らなくてもやれるのであればそれでいいわけで
まずはその工夫が大事だと思います。

というのは、組織を作るための
時間、労力、弊害をどう考えるかであり、
その組織が足を引っ張るケースが多々あるものです。

以前、純粋に革命を訴える者がいましたが
結局彼は組織(数)の重要性に特化していって
結局それで失敗してしまった。
金に転んだ奴もいた。
そういうのをたくさんみてきて、痛感するものだ。
それは歴史でも十分に立証されている。

歴史という観点から
たとえば、信長は武田騎馬軍団を鉄砲で破りました。
甲州の武田騎馬隊は当時最強です。
対して信長の尾張兵は弱い弱い、そこで鉄砲という工夫で撃破する。
現在であれば飛び道具を使うなんて当たり前と思うでしょうが
当時の常識論からすればウルトラCの発想です。
鉄砲なんて足軽の使う道具ですからね。
武士の価値が問われる、わけじゃないですか。
それをやった信長は偉い。

龍馬は土佐藩を脱藩して薩長同盟を締結させました。
武士が脱藩するなどは当時の常識からすればアウトです。
だけど、そのかわりに藩のしがらみがなくなって
自由に行動できるようになった。
さらに、龍馬は武力よりも
交易による経済という視点でものを考えた。
これも現在ならそりゃそうだと思うかもしれません。
でも、当時はそうじゃない。

このように、物事を動かすには
従来の価値観や固定観念を超える新しい発想が重要だ。

今現在のそれは、組織や数に依存しすぎています。
それを否定する必要はないのですよ。
頼りすぎていることが問題だ。
そういうものは全能ではなく、リスクや弊害も多い。
そのへんがとんとお留守になっているのが
問題なんだとわたしは思うね。

要は発想が古いんだよね。

何が問題か?
説得材料か、金か?

じゃあ、組織を作らないでも
説得できる方法をまず考えてみる。
それで運営できる金を生む方法を考えてみる。
まず、これが大事だと思う。

わたしがこういう発想をするようになったのは
様々な体験や多くの人との出会いによります。
そのなかで、杉山茂丸という人物からの影響力は大きい。
彼のスローガンは「一人一党」でした。

人間一人の力は微々たるものである。
けれども、まず、この一個人の魂胆というか姿勢が大事であり
数や組織云々はその次です。
この順番を間違うと烏合の衆の集団が生まれるだけで
その時間と労力と金と弊害は破壊的だ。

そこを見誤らないようにしなければいけません。