あかんたれブルース

継続はチカラかな

変容

知性の行方(11)


昨夜、池上彰さんが「イスラム原理主義」について
わりやすく解説していました。
それは決してテロを容認する危険思想ではない。
イスラム教徒いわゆる「人間」が
本来のあるべき姿で生きる。ものだと

もともとこのイスラム原理主義(運動)は造語で
キリスト教原理主義(聖書を忠実に受け容れる)に
対比させて生まれたものだと。

だから、タリバンなどのイスラム原理主義「過激派」は
イスラム教徒ではないという意見も紹介していた。

なるほど。と納得しながら
明治中期頃の国粋主義というものもそういうニュアンスで
なんだろう、大和原理主義とか日本原理主義みたいな
ものだったんだろうと思った。

  欧米の帝国主義や植民地政策は脅威だった。
  軍事的だけでなく、文明として脅威だった。
  人間の本来の在り方を狂わせてしまう。
  日本人は日本人らしく在らねばならない。

国粋とか、民族主義とか、国家主義というと
現在の私達は眉をひそめ警戒してしまう。
右翼とか、やくざとか、軍国主義とか、権力者の陰謀とか
そのイメージの変遷はあるとして

すくなくとも
陸羯南、高橋健三、神鞭知常らが唱えた国粋主義
現在考えられているイメージとは違う。

固有名詞を出すとまた叱られそうですが(汗)
わたしは陸羯南が好きです。
彼の知性というかインテリジェンスに本物を感じる。
正岡子規の保護者としての彼の在り方がその裏づけでもあっだ。
なんともうらやましい時代の日本人だと思う。

陸羯南、高橋健三、神鞭知常は義兄弟だったといわれます。
三国志』の劉備関羽張飛の桃源の誓いに
重ねたりもするようです。
陸の新聞『日本』から多くの記者が『朝日新聞』に入社し、
その骨格を造りました。
高橋健三などは自ら『大阪朝日新聞』に入り
知性を吹き込んだ。

現在の『朝日新聞』じゃありませんよ。
戦前の、少なくとも満州事変前の、
いや、明治の頃の『朝日新聞』はリベラルで
立派な報道機関だったと思います。

でね、その朝日の伝統というか社是というか
創刊からの姿勢は、
公正中立と国家主義。だった。

公正中立はわかるけれど、国家主義って言葉に
眉をひそめ警戒してしまう人も多いでしょう。
なかには「ホラみろ」と膝を打つお調子者もいるかもしれない。

違うんだよ。

私達が現在捉える国家主義と意味が違う。

言葉の意味やニュアンスやイメージが
時代によって変容する。

時代のせいか?

いや、私達自身のせいだ。