あかんたれブルース

継続はチカラかな

恍惚の人

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といえばボケ老人ということになっていますが
もう既に自分もボケ気味なのでそっちは横に置いて
この画像を観ておくれ(涙)。

これはクリムトの『接吻』という絵だ。

抱擁する男と女
女のこの表情を見よ!
恍惚ではないか。

男の表情は見えないけれど
二人が愛し合っていることは一目瞭然。間違いない。

ふたりはどこで接吻、交情してる?
崖ぷっちだ。
ここからこの絵を死と隣り合わせにある不安
愛の儚さ、がゆえの恍惚
と解説するものがあったけれど
そうじゃない。

この表情のなかに不安や恐れがあるか?

確かに死の狭間にふたりは在るけれど
それはとても甘美なものです。
生と死が共存している。
男と女が溶け合っている。


今年はグスタフ・クリムトの生誕150年だそうです。
一世紀前の人なのだ。

クリムトは愛を知っていた。
いや、クリムトは実際にこの女の表情をみた。

この絵のモデルはエミーリエという夭折した弟の妻の妹
生前クリムトが彼女宛に出した手紙は四百通にのぼるといいます。
しかし、その手紙に直接的な愛の表現はない。

それでもクリムトは彼女を愛していた。
この絵が証だ。
クリムトはその作品で多くの女性をモーチーフにしましたが
そのモデルたちと(必ず?)性的な関係を結んだといわれています。
そうしないと、描けなかった。
触れないと描けなかった。

それでも
エミーリエとはプラトニックだったようです。
あの夏、避暑地のアッター湖畔
ふたりの間でどのような愛が語られたのかは知らない。
ふたりだけの秘め事

クリムトとエミーリエがやったかやらなかったなんて関係ない。
二人は愛し合っていた。その証がこの絵だ。
それは至上の愛です。羨ましい

クリムトは愛を知った。
エミーリエによってそれは与えられのだ。
くらくらするよ。

世紀末のウィーンで絢爛に咲き誇った知性の極致
しかし、当時の社会通念はそれを否定する。

それから100年以上たって
私達の愛の認識はその足元にもおよばない。

愛とセックス
プラトニックと性行為
割り切ることでしか咀嚼できない愛の矛盾


クリムトは愛を知っている。
どんな詭弁を弄してもそれを否定できる者はいない。

真実とは、ここにある。

幸せとは、これだ。


芸術というメッセージ
正しい情報とは、これではないか?