あかんたれブルース

継続はチカラかな

お前に乗りたい

マグロ女と芋侍(3)


こんなこと考えない?

なんで人間は目がふたつ、耳ふたつ、鼻の穴ふたつ
両手両足と左右対称に二個セットなのか?

ものを立体的に見たり色々と便利だから・・・
まあそれは結果としてだけどさ

口はひとつだぞ?

左右じゃなくて、天地上下で考えればケツの穴。
働きは入り口と出口で違うけれど
ワンセットです。

ここまでは納得してくれるよね。
そこでだ、諸君。

ちんことまんこのはなしである。

この法則にあってないんじゃないか。

わたしはこのことから人間とは、未完成のもの
と定義してみたい。

仏教では、それを完全にしようと悟ろうとする。
仏になって天昇するためにとか
仏に近づこうと修行をします。
そういう行を努めるひとを菩薩といい
その行を菩薩行といいます。

小乗仏教は一人で頑張るマスターベーション
大乗仏教はみんなで一緒の乱交パーティーの行

この間に中道としての二人乗があるのではないかと
これを菩薩乗として、セックスを菩薩行と考えてみる。
(なんかバチ当たりで仏教関係からクレームがきそうですが(汗))

セックスするときに「乗る」という表現がある。
こんな夜にお前に乗れないなんて
清志郎、RCサクセションの
「雨上がりの夜空に」だ。
http://www.youtube.com/watch?v=hVRPVwF6f6M

曼陀羅の中央で性交するものあり
あれは、あれこそが菩薩乗ではないのか
未完成な陰と陽が合体して、完成される、ということじゃないか?

だから女性を称して、いやみんなじゃない
特定の女性を菩薩といわしめるのではないのかな。

だからアノとき「イクイク」と唱える。
どこに行くんか。無論「逝く」「往く」であり
生死観の間にある、あの世ですが、実は「行」なのだ。
菩薩行を行っているわけだな。
「イッた」は行ったなのだ。


お前に乗りたい
あなたを乗せたい
愛の二人乗
菩薩乗菩薩行


ただし、ただ合体すればいいってもんじゃなく
相手と本人さんの息がぴったりというか姿勢の問題があって
そういう様々な条件がそろわないと完成には至らない。

  最大必須条件は「愛している」ということです。
  簡単なようで、これがなかなか難しい。
  だって、愛ってなに?なんだもの(涙)

本能が後押しするのかマスコミの扇情に煽られてか
私達はそういうこをすっとばして求めます。
しかし、そうそうそういう条件を満たせない。
かなり高いハードルで
まず、そういう相手と出逢うこと、通わせあうこと
つまり相思相愛にもっていけることが至難です。

自分はそうでも相手はそうではないってこともある。
(相手がはじめから違っていたり
 また時間軸の問題で相手がそこまで至っていないとか
 性に対する一般認識の弊害も大きいと思う)

煩わしいので手近で手を打つ場合も多いし
ちょっと違うと思っても割り切ってしまえば楽なものです。
とにかくできれば良い。わけだ

愛がなくてもセックスはできる。むしろ楽だ。

また、そう難しく考えなくても
やってみて気づくことにだってなる、こともある。

寅屋がもらした言葉には
そういう意味合いがふくまれて
そういうことにつながっているのではないかと思っただけさ。