あかんたれブルース

継続はチカラかな

葦子の糸巻き引いて引いてとんとんとん



明け方、四時ぐらいかな
目が覚めてベランダで煙草を吸ってたら
東の空に明星が輝いていた。

東京には空がないと千恵子はいったが
東京には星もない。
せいぜいいふたつみっつよっつぐらい

でもないんじゃない。見えないだけなんだよね。

わたしが幼稚園の頃ですが
つまり昭和38年か9年頃、
南九州の夜空は満天の星におおわれて
天の川もはっきり見えていた。


見えるものが見えない者をボンクラといいます。

ホントに見えないのと
見ようとしないから見えないのと
気づかないのと、まあいろいろです。

若い頃、子どもとか赤ちゃんとか
そう可愛いと思わなかった。見えなかった。
若い綺麗な娘さんしか目に入りませんでした。

小さな子どもが可愛いと思うようになったのは35歳頃で
赤ちゃんを可愛いと思えるのようになったのは38歳です。
自分の子どもの誕生と関係しているんでしょうね。


花なんかまったく興味なかった。
四十代半ばでようやく路上の木々草花に
足をとめるようになった。
老けこんだ?

それまでわたしはボンクラだったてことです。


物が見えない人って多い。
年をとっても見えない人は見えない。
経験だけではなく、感性とか姿勢とか心がけで
大きく違うようです。

ひとつは相場観みたいなものもある。
人間はどうしても相対的にモノをみてしまいます。
それをやめればいいんでしょうが、
ああた、そう簡単にいかん。
せいぜい、
その比べる基準をなんとかするところからでしょうかね。


自分のことだけ考えてると
なにも見えなくなってしまう。
これがしくじりのもとです。


もういつまでも自分のことを可哀想がるのはよしなよ。


なんて言えるのはよっぽどの相手じゃないと言えないし
また言っても効果はありません。

それを知ってるからみんな口をつぐむんだろう。
そう思いたい。

そりゃあねえ、女房でも恋人でもないから
マンツーマンでああだこうだと手取り足取りはできない。
最終的には自分でやるしかないんだ。
伴侶だろうが恋人だろうが我が子であっても


愛している

という言葉を使ったことあるか?
わたしは実際に四十半ばまでなかった。
カミサンにも言っていない。

たぶん一生使わないと思っていました。

わたしは愛がわからなかった。
なにも見えていなかったのだ。
ボンクラだったわけです。

わたしたちは生まれて様々なしがらみを背負って生きていく。
その最大のしがらみが、自分自身とのそれだ。
そういうのを断ち切ってしまう。
己を空しくさせる。

そのとき
ようやく見えてくる世界が
あるものです。

まず、そんなつまらないもの
一度捨ててしまいなよ。
そしたら救われることって、けっこうある。


葦子、もう赦してやれよ。
お前はもうヘトヘトだ。
そこまで突っ張ったんだからいいじゃないか。
誰も嗤わない、誰もバカにしない。