あかんたれブルース

継続はチカラかな

メディアの出生の秘密と宿命

村山さん、弾はまだ残っとるがよ(2)


朝日新聞の設立は明治12年。
西南戦争終結して、翌年に大久保利通が暗殺され
自由民権運動で全国各地激化は荒れ模様

そんななかで、
大阪の泉屋という老舗醤油屋が作ったのが
あの朝日新聞です。

泉屋に木村騰というボンボンがいまして
父の平八の気持ちをよそに、まったく家業に興味がない。

もっとベンチャーにカッコエエ時代の先端をいく
事業がしたいんや。

とダダをこね、輸入雑貨店を開業、させてもらった。
ミーハーというかチャライわけだ。
親の金で、ですよ。こんな苦労知らずのボンクラボンですから
しばらくするとアキちゃって、店の金を持ち出して
東京に逃避しちゃった。

「お父ちゃんがガミガミうるそうてかなわん」

ここで、東京の文明開化に目をキラキラさせる。
なかでも「新聞」というメディア産業に心を奪われた。

これを大阪でやると売れる=儲かる!

で、大阪に帰って父を説得した。
なんせ親馬鹿なのと、騰が兄貴分の村山龍平も参加すると
いうところで、父親も渋々納得したのでした。

 当時の新聞は大(おお)新聞と小(こ)新聞があって
 大新聞は時事(政治)論説をメインにするもの
 小新聞は家庭欄中心の庶民生活をサポートするライフマガジン
 みたいなものにわけられました。

 その大新聞は自由民権運動組織の機関紙的役割を担い
 明治新政府を糾弾批判していた。
 現在の赤旗みたいなようなものです。
 政府も官報とか御用新聞を発行していましたが、
 まあ今の「区民だより」みたいなものですから、売れないし
 影響力はないわね(汗)

騰は大阪は商人の町で、大新聞は『大阪日報』とか
すでにあるので、ここは手薄の小新聞を出せば
(新聞激戦区東京より、大阪は出遅れていたので)
勝算ありと考えたわけだ。
なかなか目のつけどころは良かった。

いまでこそ天下の朝日新聞が大阪の醤油屋の
商人新聞で、馬鹿息子の発案から生まれたっていうのが
おかしな話ですよね。

それこそ現在の新聞社は一流企業(?)で
(文系)エリートが集う筋目の高いイメージですが
明治時代は「羽織ゴロ」といわれていたのです。
ゴロとはゴロツキ、やくざ者の意味ですよ。
総会屋新聞みたいなものですね。

いまでも新聞はインテリが作ってヤクザが売る
なんて揶揄されてるでしょう。
洗剤とか野球のチケットとか持って
「奥さんひと月でいいからとってよ」と
泣きをいれている。あれで採算とれるのかなあ・・・

どういうカラクリかは知らないことにして、
採算とれるんでしょうねえ。

話を戻して、この新聞メディアの黎明期は
現在のネット、ブログの誕生からの現在に似てる。
全国各地に新聞社が竹の子のように誕生したように
ブロガーも独自の媒体を手にしたようなものです。

そこには大新聞のように時事ネタで政府批判を行うもの
小新聞のようにグルメや身近な生活ネタを発信するもの
ね、似てるでしょ。

で、問題はその情報が正しいかどうかだったんですね。

新聞の前身はかわら版です。
これがまたあることないこと面白おかしく書く。
そうしないと、売れないのです。

「馬太郎はハゲでズラで蒸れて汗疹で失神!」とか


なんかいつの間にか
報道に正義をバリューセットしてますが
根底は商売で成り立っている。
だから売れないと成り立たない。これは出版業も同じ。

メディアというのは根底にそういう宿命がある
ことを私達はみっちりと頭に刻んでおく必要がある。

作り手送り手側は
国民(読者・視聴者など)はアホだから
食い物ネタとダイエットと芸人とクイズやってりゃいいと
タカを括っているんですぜ、旦那。
舐められてるんだ。

でも逆にいえば、
いい加減な媒体は買わない観ない聞かなければ
いいわけです。

えっ? そうなると情報が得られない?
大丈夫ですよ。そこにちゃんと競争原理が働きます。
メディア生かすも殺すも国民次第ってものです。