あかんたれブルース

継続はチカラかな

禁断の相思相愛

村山さん、弾はまだ残っとるがよ(10)


そんななかで入社した期待の大型新人
池辺三山(高橋克実)は熊本の出身。
父・吉十郎(高橋英樹)は肥後の西郷といわれ
西南戦争で西郷軍に参加し敗戦後処刑されたのでした。
池辺の後輩で後に朝日に入社するの鳥居素川(市川猿之助)も
細川隆元阿部サダヲ)も佐々弘雄玉木宏)も熊本出身。

細川以外はみな西南戦争負組みの子弟です。

朝日新聞紀州丹波出身者が創業者ですが
その礎を築いたのは熊本と、そして福岡なんだな。

福岡は戊辰戦争後の失策で明治政府に参画できなかった
これまた負組なのです。
つまり、朝日の礎は明治維新の日本の近代化の負組みたちが
築いた、といって過言ではない。

歴史研究にマルクス史観というものがある。
簡単にいうと、過去の歴史で革命したほうが正義という考えです。
フランス革命マリー・アントワネットが悪。
辛亥革命は清が悪で革命側の孫文が正義。ロシア革命も同じ。

 自民党が悪で民主党が正義。
 いまは違うけど、というイメージがあったでしょ。
 今度は民主党が悪で、維新の会が正義?

これに権力者側の歴史記録への関与で
明治維新は西南雄藩(薩長土肥)の活躍で成しえた。みたいな
そういう偏った見方が横行しているけれど、
実際には幕府側にもドラマがあって有能な人材が活躍したし、
九州も薩摩だけではなく、熊本や福岡も大いに活躍した。
ただし、それは政治の表舞台ではなかったので
なかなか知られていない。

新聞メディア業界もそのひとつ。
福岡、熊本以外だと、土佐とか岡山、津軽なんかに
多くの人材を輩出しました。
と、いうかそういう場でしか活躍する場がなかった、かな。
原敬なんかも新聞記者出身です)

この池辺は明治三大記者に数えられている。他の二人は
津軽陸羯南唐沢寿明)と
これまた熊本の徳富蘇峰大竹まこと

日本三大頑固者とは熊本、土佐、津軽といいます。
ジャーナリストの資質は頑固者なのかな。
では土佐は?
中江兆民(『東雲新聞』)、黒岩涙香(『萬朝報』)、
幸徳秋水(『平民新聞』)、などがいる。

ね、納得でしょ。

池辺が朝日入社前の明治27年日清戦争が勃発した。
旧藩主の息子のフランス留学に同行していた池辺は
新聞『日本』に「巴里通信」という現地リポートを送り続けた。

これがなかなかの名文で
この記事に熱い視線をおくっていたのが
文豪夏目漱石榎木孝明)。
池辺も漱石をリスペクトしていた。
十数年後、二人は朝日新聞で結ばれる。

漱石先生、私は先生の大ファンです。お慕い申し上げてました」
「池辺さん、先生はよしてくれ」
「『吾輩は猫である』も『坊っちゃん』も傑作です、文豪万歳!」
「私もあなたの「巴里通信」に魅了されてましたよ」
「えっ、読んでくれていたんですか」
「池辺さん、私こそあなたのファンなのです」
漱石先生、是非朝日に入社してください」
漱石とよんで」
「ということは・・・」

汗ばんだ手を握りしめる中年二人・・・映倫カット

ということわけで稀代の名文家の相思相愛が実るのですが
この男同士の純情が大きな火種となって朝日新聞を炎上させる。
煤煙事件・・・
出火原因は寝煙草の不始末。