あかんたれブルース

継続はチカラかな

朝日新聞第二次社内抗争

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村山さん、弾はまだ残っとるがよ(14)


漱石朝日新聞に入社してその効果は抜群でした。
文豪の連載小説の効果もさることながら
漱石自ら広告塔をかってでて、各地で講演を行う。
これがまた面白い。文豪はトークも一流だった。

『東朝』では紙面改革の充実に文芸をテコ入れしてましたので
漱石入社一年をして文芸欄を開設した。

漱石には門下生が多数いまして、このお弟子たちも
率先して朝日に原稿を投稿します。漱石はその編集もやった。
そんな漱石門下生のなかに森田草平という東大出の優男がいて
世間をまだ知らないお嬢様平塚らいてうを口説いて
塩原温泉で心中事件を起こす。
当時としては大スキャンダルです。

漱石はそれを小説にすることをすすめ、
森田は「煤煙」と題した作品を朝日新聞に連載。
これがまた赤裸々な内容で
センセーショナルを撒き散らした。

このことで、朝日新聞内で物議を醸す。
当時、大阪の『大朝』では鳥居素川と西村天風という実力者が
主導権争いから対立していました。
日露戦争講和反対までは二人は歩調を合わせていたのですが
それがひと段落して、『東朝』の池辺三山が桂太郎とヨリを戻し
桂内閣支持にまわったことから池辺批判が高まっていた。

これに絡んで煤煙問題が『東朝』の政治部で噴出し
政治部長で西村派若頭の弓削田精一(天囚の義弟)が
池辺に猛烈に噛み付いた。
当然漱石をかばったのですが、話がこじれて池辺は退社しちゃう。

池辺と鳥居は同郷で新聞『日本』出身。
池辺退社後は、鳥居派と西村派の全面対決となります。
細かいことは端折りますが結果として
第一ラウンドは西村派の勝ち
第二ラウンドは鳥居派の勝利
そして、白虹事件という筆禍事件で西村派の大逆転となる。

これで鳥居や『東朝』の松山忠二郎らが一派を率いて
朝日新聞を退社しちゃう。
上記の図がその対立相関図です。

朝日新聞は創刊直後に津田貞のクーデター
そして、この西村派対鳥居派の大抗争があったのでした。

やくざの組織内分裂抗争と同じで
簡単にいうとこんな感じ

池辺会池辺三山会長

鳥居組組長鳥居素川    
若頭 長谷川如是閑     
            
東京朝日一家       
松山組組長松山忠二郎    
             
渋川組組長渋川玄耳
文豪会会長夏目漱石     


に対して

鳥居組組長西村天囚
若頭代行岡野養之助
東京支部
西村組若頭・東京支部長弓削田精一
客分本多精一
若衆中野正剛
緒方竹虎
大西斎