あかんたれブルース

継続はチカラかな

それじゃあ行き詰るよ



ちょっとした揉め事というか厄介を抱えてしまった。
直接わたしじゃないんだけど
AさんとBさんの関係というか意見の対立です。

わたしはAさんの言い分もBさんの言い分もわかる。
わたしも含めて、AさんもBさんも
最終目的は一緒です。

わたしはだったらそれでいいじゃないかと思うのだけれど
Bさんはそれじゃあ納得できないという。

要はその目的を達成するためのやり方、手順が異なる。
Bさんにとっては
これがのっぴきならないもので、これ以上歩調を
あわせられないという。

間に入ってなだめるのですが、どうもうまく通じない。
なだめればなだめるほど、そういうことにこだわらない
馬太郎が不埒で大雑把な人間にうつるようで
なんともどんどん意固地にさせてしまうようで困った。

ま、確かにAさんにも問題がないわけじゃないのですが
でもAさんBさんを比較して、どっちが合理的かといえば
わたしはAさんだと思う。
そういうのをBさんも感じるから頑なになるのか。
かといってわたしのせいにされてもねえ。
子供じゃないいだからしっかりしてほしいものだ。
というのがわたしの率直な感想です。

なんでこう柔軟性がないというか
直線的なんだろう?

それともわたしが軟体動物的で紆余曲折的なのかな?
目的や目標があったとして
そのための、戦略・戦術なのであって
戦略・戦術が本質じゃない。
いったいなにを第一に、何を守ろうとしているのか。
それほどそれにこだわらないといけないのか。
もしそうだとすれば、
それはとても危ういものだと感じる。

みんなにはまったく関係ない話なんだけど、
こういうのって往々にしてあることです。

己が強いのだ。

その強さの実態は保身というか自信のなさにある。
ちょとでも自分の考えと異なるものがあると
過剰に反応してしまう。
歩いていこうが、タクシーでいこうが、電車いこうが
目的地に到着すればいい。
それをなにがなんでもタクシーでいかないといけない
ってことはないとわたしは考える。
待ち合わせ時間とかなんか事情があれば別ですが、
いますぐのことではないとして、だったら
それなりにはやめに行動することも可能です。

月末で渋滞がひどければタクシーなんか使わないほうがいい。
悪酔いして気持ちが悪ければ歩いていけばいいし、
なんだったら自転車でいってもいい。
なんでタクシーで行かなければならないのか?

わたしはよく結果ではなくプロセスだという。
矛盾する?
しかしそれは個人の人生の話であって
これとそれとは、まったく別次元の話だと思うよ。
だってそれを車か電車か徒歩かは個人の選択だ。

個人と個人の考えががまったく同じ
ってことは有り得ない。
恋人同士でも夫婦でもそれは有り得ない。
時間軸だけの話です。錯覚だ。

双方の相違点を気にすることよりも
共通点を理解しあうことが大事なのではないか。
大事なのはなにを共通点として行動する、できるかである
と、しみじみ思う今日この頃です。


(本日の名言)

そして誰もいなくなった

1939年に刊行されたアガサ・クリスティの長編推理小説より