あかんたれブルース

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精神科医の乱心(7)


運命の人
そういう相手との出逢いをみな心待ちしている。
それぞれが出会いがしらでその時はみな相手を
運命の人と思って疑わない。

なかには出合った瞬間に鐘が鳴ったとか
人それぞれですが、まあ戦前の見合い結婚じゃ
ないわけだら、だいたいは
好きで一緒になるわけだ。

それがさ・・・
時間の経過とともに
現実や慣れや惰性やらいろいろで
それは違っていたことに気づいていきます。
はやまった、と。舌打ちをする。

この人じゃなかった
本当の運命の人は他にいたはずなのに、とか。
その現状を嘆き、過去を振り返って
れば、たら、を言ったり考えたりするものです。
でも、
時間は過去には絶対にもどれない。
過去は運命を宿命に変える。
と、すれば、だな
満足のいかない結婚相手、結婚生活であっても
その相手は運命の人ということになる。
いや、離婚を否定してるんじゃない。
離婚しようがしまいがそれは別の話であって
その人との出合いも運命であって、意味がある。

バツイチの人なら前の相手も運命の人で
その出合いと過ごした時間には意味がある。
バツ2の人なら前の人とその前の前の人も
運命の人であって必ず意味があるものです。
人生すべてに意味がある。

要はそっから何を気づくかということで
この気づきというものが兆しである。
それは変化を求められていることだ。
人間は絶対に、それこそ宿命的に
変化を余儀なくされます。

大事なところは、結婚生活云々ではなく
相手云々じゃない。
自分のことであって、
自分がどう気づき、どう変わるかということだ。

だいたいが人間は変化を嫌がるものです。
その状況がどんなに劣悪なものでも
変わるということは、不安や恐怖を伴う。
だから我慢しようとする。我慢で手を打とうとする。
しかし、我慢だけじゃすまされない。
結局、我慢比べになれば、我慢できなくなるところまで
追い込まれてしまうのが運命の恐ろしい性質だ。
我慢するなって話でもないからね。
また、
離婚すればいいって話じゃないぞ。
離婚したって本質の変化がクリアできていなければ
違ったカタチで追い込みをかけてくるものです。

マキャヴェッリがいった
獰猛な運命に抗うことはできなというのは、
変化を拒むことであって
決して何かにチャレンジするなってことじゃない。
ここを現代人は誤解している。

その変化のサインを強くはっしているのが
運命の人たちであり、その出会いだ。

有限の人生のなかで出合う人たちは
限りがあるものです。
ましてや配偶者なんてよくて一人か二人か三人か
まあなかにはもっと多いかもしれませんし、
深い仲になった相手にもそれはいえる。

また、恋愛関係抜きにしても
出合った人には意味があるわけだ。

腐れ縁だろうが、嫌な奴でも
(だから付き合えって話じゃないぞ)
その意味、そのサインを見極めろって話です。

それと、
運命の人と魂の相手と混同してる。
これに尽きるわけだ。
魂の相手と出逢いたいのなら
自分の魂に忠実に生きていなければ
同じ波長の電波みたいなものは発しないでしょう。
そのためにも昨日いった
なりたい自分の構築は重要なんだ。

みょうな芝居してやりすごしてると
そういったみょうなものしか引き寄せられない。
また、相手に期待して
なんとかしようという算談もむしのいい話だ。
見てる人は観てるわけだから
そういうの必ずみすかされてしまうよ。
それに気づかない人はそれだけの人だ。
そうじゃなくて、
自分と同じ魂の相手を引き寄せたい
わけでしょう。