あかんたれブルース

継続はチカラかな

馬糞の福音

精神科医の乱心(10)


「艱難汝を玉にす」と申しますが
(「かんなん・なんじ」うり坊はまずここで脱落だな(汗))

わたしは苦労が成功の権利とは思わない。

苦労したことを根に持って
捻てしまうものもいる。
(みてて痛いよ)

また、とことん追い込まれた経験を持ちながら
その経験をいかせないものもいる。
(みててつらい)

かと思えば、そういったこともなく
春風そよぐごとく往く人だっています。
(うらやましいものだ)

不公平というよりも
世の中って、シビアなものだと思う。

苦労を売り物にするでなく
せっかく背負った機会と考えて
それを活かせるものは幸いだと思うのだ。

立命の記事に関して
アレックスがよいコメントを残してくれています。
彼とわたしの思いは同じだ。
同じ会社なんだな(笑)

すこし補足すれば、
みんな共通していえることとして
人生は変化を絶対に余儀なくされる。
これは宿命だ。
で、あるのだけど、
わたしたちはそれを捉えるために
また、それを活かすために
「不変」でなければならない。

変化と不変・・・矛盾する?

矛盾しない。

じゃないと、変化の兆しを感じることができない。
自分自身の不変とは固執じゃないよ。
確固たる自分を持っていること。
これがないといけない。
(カメさんの自己確立とはちょっと違うぞ)

変わる世界にあわせてふらふらゆらゆらしてたら
変化なんてわからないし、変化しても変化したことに
ならないわけです。

  我慢を強要してるわけじゃないよ。
  そこを勘違いしないでね。

多くの人が四十代に様々な苦労をすると思う。
大小はあるだろうし、
三十代や五十代でもそれはあるけれど
この四十代の苦労・苦悩は大きいと思う。

でも、それをどう受け止めて
どう取り組んだか、が、大きいな糧となる。
苦労は決して権利取りではないけれど
自分を磨くチャンスであることは確かだと思う。

かといって、わたしは苦労を求めるMでもないし
どっかの坊主じゃないから、できればそんなもの
背負いたくはないけれど、そういう状況になったら
仕方がない、
そこから変化の兆しを捉えて
行動して、
あわよくばそれを幸運に変えられるように
工夫し努力してみます。
そう考えると気が楽になるじゃない。

みんなはまだ若い。
ほとんどがこれから四十代だ。
この四十代をどう生きたかが大きいと思う。

四十代を過ぎた人でこの一文で不安になった人は
馬ちゃんの特別支援教室があります(笑)。

苦労は不運じゃない。
幸運と不運は背中あわせで
時間軸で裏表変わっていくものです。
そういった事象に惑わされ一喜一憂してると
変化の兆しの「機」を見逃してしまう。

  この機が例の「間」というやつね。
  機を捉える=間に合うというもの。

春夏秋冬の季節があるように、
それが繰り返される循環のなかに私たちは生きている。
季節の変化を捉える感性と知性を磨く。
そして、変わる勇気を奮う。です。

これ以外の結論はない。きっぱり。