あかんたれブルース

継続はチカラかな

ラ・メールの涙



コクリコ坂から』を観た。
一年半ぶりだったけど
なんだろうねえ、好きだわあ
ノスタルジックといえばそれまでで
1970年代以降生まれの人にはなんのこっちゃい
となるのだろうか、それとも・・・

隣で息子が不思議そうに、
それでも興味深々で観てました。

「ねえパパあ昔はあんな喋り方をしてたの?」

だってさ(笑)
高校生の喋り方が時代がかって聞こえたみたい。
「そんなこともないけどさ
 でも君達は幼いよなあ
 高校生になったら
 もうちょっとなんとかしろよ(笑)」

コクリコ坂から』の最大の魅力は
主人公海ちゃん
こと「メル」にある。
(海をフランス語に訳すと、ラ・メール(la mer)

あの健気さ一途さ強さ優しさ賢さ・・・
ああ、昭和だなあ
お下げも割烹着も白い制服もカーディガンも萌えるぜ

海ちゃんに対する切なさは
彼女がしっかりした長女であるからだ。
長女的な女性といいかえてもいい。

その対比に妹や弟たちが使われている。
お姉さんだから・・・
それに彼女はなにも不平や愚痴をこぼさない。

敢て、長女、的と「的」をつけたのは
うり坊が長女だと小耳にはさんだからだ。
危うく馬太郎理論が
スタート地点で破綻するところだった(汗)

第一子というのは長女長男に関わらず
両親や周囲の愛情に一身にあつめて育つ
そのぶん、おっとりとした性格になる。

ただし、第二子以降がすぐに生まれた場合
そうおちおちはしていられません。
「お姉ちゃんでしょ」といわれて
さびしい思いをしながら健気に自立していく。

だから兄弟姉妹の状況で長女(的)な女性は
長女と限らないわけだ。
もって生まれた性質もあるだろうしね。

彼女はそういう人だから
世の中の様々な理不尽を受け入れて
しっかりと生きようとする。
当然そこには「わたしばかり」という
禁句がこぼれそうになるとしても
それを飲み込むのさ。

それがまた健気なのだなあ・・・

そんな海ちゃんが折れてしまった。
夢の中で幼い彼女が泣いていた。
母親をみつけて抱きついて泣くのであった。
それも夢なのだけどね。
目覚めるとき、彼女の頬は濡れている。

決して人前では泣かないのだ。

米国から本当に母親が帰国して
確認したかったある事実の真相を知る。
その真実にホッとして彼女の緊張の糸が切れて
大粒の涙がぽろぽろ溢れでる。

それはまるで『となりのトトロ』の
サツキの号泣のようであった。

せつないなあ・・・

息子よ、高校生になったら
風間俊君みたいにしっかりした青年になって
こら、それはパパのクッキーだろ
もっと男を磨いて
だから最中はパパのだからダメだってば
長女的女性を包み込める大きな男になって
泣かすのだよ。
違う方向性の泣かす男にならないように。
あっ、ゼリー菓子はダメっていってたのにい(涙)

泣きました。