あかんたれブルース

継続はチカラかな

釈迦の方便

愛のメンタリズム(7)


あんまり大きな声ではいえないのですが
あの世って、ないんだね。
宗教によって名称は異なりますが
仏教でいうあの世、浄土というもの
これ、
どうもないなあ。

『大経』『小経』『観経』の浄土三部経
この三大教典には相対的に矛盾がある。

阿弥陀仏は私たち衆生を救済のために
四十八願」を発願し、成就し仏様となられた。

それをお釈迦様が紹介、解説したのが
『大経』『小経』『観経』の浄土三部経です。
聖書みたいなものですかね。

そのなかで、この三部経にある
阿弥陀仏が教える極楽往生の方策が違うのだ。

この四十八の発願のなかで
第十八、十九、二十願に矛盾がある。

その矛盾は三部経が共通して
他力(念仏)往生を説いているけれど
『観経』は第十九願で、『小経』は第二十願で
自力(諸行)往生も認めている。
二重構造(表現)になっているのです。
まあ馬太郎の下ネタ記事には実はとんでもない
叡智と福音が裏打ちされている、みたいな。

例えば、「30日ダイエット成功術」で
第十八願が脂肪を控えて野菜中心の食生活を説く。
にもかかわらず、
『観経』は第十九願では霜降り肉食っても
『小経』は第二十願では大トロ食っても
いいかもね、というようなものです。

でありながら浄土三部経は共通して
野菜中心の食生活往生を唱えている。

これは菜食主義信奉の、いや
他力念仏往生を絶対とする特に真宗の場合では
大問題になってしまうわけだ。

阿弥陀様もお釈迦様も絶対ですから
失言とか筆の誤りではすまされない。

で、考えた結果
「釈迦の方便」というものをひねり出した。

現代の私たちは「嘘も方便」
という言葉で「方便」という言葉に親しんでいる。
わたしなんか方便だらけですが(汗)

で、この方便とは
例えば、ダイエットを目指す人に
野菜しか食っちゃダメというと
途中でグレてヤケ食いしてしまうので
まあカルビぐらいいいよ
まあたまには中トロぐらいいいよ
てな感じで
30日ダイエットは無理だけど
なんとか半年ぐらいで・・・なんとか
という段階的な説得論法だというわけです。

なかなか考えるもんだねえ。

でもさ、この方便
そんなまだらっこしいものではなく
もっと最初から「極楽自体がない」
それ自体が「方便」だったってことはないかな。

ダイエットすれば極楽往生できるとしないと
暴飲暴食の無法者が8時だよ全員集合!
みたいな(汗)
だから極楽があって死んだらそこに行ける
という目標目的がないと
デタラメをやらかすのが私たち衆生の悲しさだ。
そこで方便を用いた。
んじゃなかろうかと、思うわけだ。

自力じゃ絶対無理なので
他力っていうのが正しいのは確かみたい。
違うのはカメさんぐらいかな。

それになんだかんだいっても
一切救済するともいう。みんな救っちゃう。
大盤振る舞いだ。偉いねえ


あの世って、ないんじゃないの。

だからあ、だからこそだよ
現世で好き勝手に、お気楽を粋がって
「楽しきゃいいじゃん」ではなく
一日一日を、今この瞬間を
大切にしないといけない。

だって、そんなにお気楽でもないじゃん。
楽しくもないだろう。
もっと楽しいことは他にたくさんあるよ。

わたしゃ一昨年の夏にこれを言いに
ノコノコ大阪くんだりまで出かけていきました。
端からみたら馬鹿だよ。
カミサンなんかには口が裂けていえない。
が、伝えるべき御方は
酩酊してて結局なにも言えなかった。
ま、言ったとしても
理解してはもらえなかっただろうけれど、
それでも言うべきだったかなあ
と、後悔まではしなけど
何もしてあげられなくてとても残念でした。

好き勝手やるのが自由じゃない。
それがそんなに面白くも楽しくないことを
本人が一番知ってるはずだ。
ただ、それを知る環境になかった
それを教える人がいなかった
それがなんというか不憫というか
残念だったのだ。

縁があって出合ったのに
なにもしてあげられなくてごめんよ。
まだ間に合う機会があるなら
はやく気づいておくれ。
それを祈るよ。