あかんたれブルース

継続はチカラかな

愛で騙して

愛について(3)


ピカレスクロマンのお題目は
「愛、友情、裏切り」と相場は決まってる。

内田けんじの作品『アフタースクール』は
まさにそれだ!
が、はたしてこれが「悪漢」の物語なのか?

この作品のキャッチフレーズは
「ヒドイ奴、悪い奴、いい奴」だ。

ヒドイ奴は佐々木蔵之介
悪い奴は堺雅人
いい奴は大泉洋

まるでマカロニウエスタン
『続・夕陽のガンマン』を彷彿させるセッティング
そして『スティング』のように
気持ちよく騙される。傑作だと思う。
そのトリックに無理があるという
指摘もあるが、まったく気にならない。

中学生教師役の
大泉の軽い演技が非常によく
ラスト近くの
「学校なんてどうでもいいんだ」
のセリフは泣けてくるよ。

100%娯楽作品なのに
世の中を斜にかまえた野郎どもと女たちに
愛の鉄槌をあたえてくれるだろう。


「どうせ、作り物じゃないか」

なんて声が聞こえてくるけれど
フィクションとノンフィクションの線引き
なんてこんないい加減なものはない。
ノンフィクションの真実なんて
これほどあてにならないものはないんだ。
わたしがいうんだから間違いない。


日本映画の監督十傑をあげれば
黒沢明野村芳太郎、今村、小津、溝口・・・
そして深作欣二も絶対に入るでしょう。
あの名作『仁義なき戦い』の監督です。
わたしが一番好きな、影響された監督だ。

この深作作品に『仁義の墓場』という作品が
あります。
実在のやくざ石川力夫を描いた
「実録」・「ノンフィクション」なのですが
わたしは35年以上経ったいまも
この作品をまったく評価しません。
一番好きな、影響された監督なのにねえ。
救いがないんだな。

石川には有名な辞世の句がある。

「大笑い三十年の馬鹿騒ぎ」

この言葉で石川は自分の人生にピリオドを打った。
「破滅の美学」なんて言葉があるけれど
石川には美学などない。
事件三菱銀行人質事件の梅川昭美同様に
勘違いしたままその矛盾を抱えて破滅した男だ。
米国の銃乱射事件の犯人たちと変わらない。

そして、花がない。

また、それを題材にするにあったて
深作の演出はどんよりと沈んでしまった。
きっと石川の負のスパイラルに
影響されたのでしょう。

これだったらその続編にあたる
『やくざの墓場・くちなしの花』のほうが
断然良いと思う。

そして、それとは対極にある
内田けんじの『アフタースクール』
やくざは登場しますが
この作品は100%フィクションで
まあある種のコメディーです。

ピカレスク・ハードボイルド・ラブコメディー
とでもいいましょうか、笑える騙される泣ける。
脚本も内田けんじのオリジナルだ。
確信犯なんだな。

フィクションとノンフィクションを比較して
前者を嗤い後者を信奉するものが多い。
喜劇と悲劇もそうだ。
後者の芸術性を賛美するが
前者にそれは感じないようです。

わたしはそういうものたちを
似非リアリストといってはばからない。
そんなところにだけ現実があるんじゃないと。

ちょっと裏をのぞいただけで
それがあたかもすべての正体で
それが現実だと思い込むそれに
薄っぺらさを感じてやまない。

これは、映画だけじゃなくてすべてにいえる
それは、趣味とか好みの問題じゃなくて

現実とは、そういうものじゃない。
なぜならば、
現実(ノンフィクション)は
小説(フィクション)より奇なり
なのだから。

この奇とは「奇跡」をも意味する。

そういうものを
似非リアリストは嗤うけれど
そういうものたちに奇跡は絶対に訪れない。

奇跡とは幸せのヒゲだ。
そのヒゲに触れたらくしゃみするよ。
その拍子に目からウロコがとれちゃう。
世の中の見方感じ方が変わるよ。きっと

もし経験したら誰だって変わるでしょうが
固定観念の亡者にはその範疇のなかでしか
考えられないし行動できないのだから
その機会は非常に低い。

本当のリアリストってものは
そういう概念をとっぱらったところで生きている。
そしてチャンスをものにするんだ。


ネタばらしができないのが残念ですが
『アフタースクール』
機会があったら観てみてね。
福音があるよ
よい映画です。
快く騙されてみてね(笑)