あかんたれブルース

継続はチカラかな

やさしさについて



あれは25、6の頃だったか
それはハードな日常で修行していました。
西武系の広告代理店の仕事が特にキツかった。
ま、世間に揉まれてたわけです。

その仕事のひとつを平松尚樹さんという
イラストレーターにお願いすることから
何度か六本木の事務所を訪ねた。

平松さんは一人でやってたせいか
話好きで、仕事の話以外に
野球の話や麻雀の話とか・・・
平松さん個人の話とかも聞いた。
当時すでに大家にあたるイラストレータ
だったのですが
気さくなおっちゃんで
魅力的な大人の人でした。

以前は伊勢丹の広告部のチーフデザイナー
だったといいます。

なぜデザイナーをやめたんですか?

わたしにとっては素朴な率直な疑問でした。
伊勢丹の宣伝部なんていうのは
資生堂に匹敵するぐらい一流どころだ。

平松さんは
やさしさが邪魔するのだといった。
デザインの仕事は厳しく
それも人の上に立つ
管理職の場合
その部下がどんなに徹夜して
頑張っていたかを知っていても
その努力だけを評価するわけにはいかず
ダメなものはダメとダメ出しをしないと
いけない。

それが苦手だったんだという。
自分はそういうのにむかない。
だからやめたんだとおっしゃっていた。

その話を
なるほどなあと感慨深く聞く反面
俺は大丈夫俺は強い俺は大丈夫・・・
と心のなかで唱えて踏ん張っていた。

そうでもしないと折れてしまいそうなほど
その頃は追い込まれていた。
ボロボロだった。


打ち合わせを終えて
退出するときに平松さんがいった。
「元気だしなさい。大丈夫だから」

はあ・・・

不意をつかれて戸惑った。
それがなんともいえない、やさしいんだな。
やられた。と思った。
その笑顔の最後の言葉に
わたしはほろっときそうだった。
すっとぼけるのが精一杯だった。


帰り道
「顔に出てたのかなあ」と
冷や汗が出ました。
絶対に顔に出さないという自信があったのに。
無論、愚痴めいたことは一言もいってない
はずなのに・・・
ま、よっぽど弱ってたんでしょうねえ。
しかし恐い人だ(汗)。


そのときの彼の言葉はわたしにとっての
ひとつの支えになったし
自問自答の言葉にもなった。

やさしさの非力

それを絶対に認めるわけにはいかなかった。
あれから30年経っても
わたしをときどき立ち止まらせて
驕りや不遜でバランスを崩さないための
哲学的テーマになった。

あの日の帰り道に
恐い人だなあと思った反面
ああいう人になれたらいいなあと思った。
「観てる人は観てる」という言葉も
このときの体験がもとになっていると思う。

結局、わたしにもそういう非情は無理で
あの手の業界は肌にあわなかった
わけだけど、
「非力であっても無力ではない」
こういうふうな答えを自分なりに導き出して
歩いている。


わたしたち世代は
まだ恵まれていたかもしれない。
そういうことをそれとなく
さりげなく教えてくれる大人がいた。

たぶん、あの時の彼の年齢を
わたしは追い越している。
東京タワーを背に
六本木通りをトボトボ歩きながら
わたしはああいう大人になりたいと思った。