あかんたれブルース

継続はチカラかな

ハイソについて



ハイソサエティに笑いはないと
いったのは人情噺の達人浅田次郎だった。

 人を笑わせるにしたって下手だしさ、
 つまんないギャグ言っちゃ周りがみんな
 義理笑いで「ワッハハハ」っていう。
 ロウアーの社会の冗談はもっと全然切れるよ。
 ...本当の笑いっていうのは
 ハイソサイエティの社会の中にはないな。
 涙を知らないから、笑いも知らない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・(『待つ女』)

ハイソサエティとは、
地位、経済力、教養などにおいて
社会的に上層に位置すると
「みなされる」階層によって構成される階級。

まあ、上流階級というわけでしょうが
「みなされる」と敢てまだろっこしく説明
してるところがミソですね。
一億総中流(意識)なんて時代もありましたが

それでもみなされたい願望は強い。
役職、出自、年収、知識レベルに関係なく
そういう意識をもった瞬間、その人はハイソだ。

そういう人の笑いは面白くない。

だから、バーブラがいった台詞の
「あんたたちハイソは、
 なんでもジョークで済まそうとしてるでしょ。
 真面目に社会と向き合ったことあるの?」

このジョークは面白くないスベリ冗句というわけ。
ただし、ロバート・レッドフォード
ホントにハイソだったのかどうかは疑問。

日本の笑いの文化は
関東・関西それに九州に分けられます。
それを制した関西。
関西のお笑いは決してハイソじゃないんですが
ボケとツッコミがパターン化して
一億総ツッコミに傾きつつある。
ここにハイソの臭いが鼻につきだしてきた。

ボケとツッコミに階級差が存在し
ツッコミのほうがやや上位に位置するから。
安全なんでしょうねえ。
そういう姿勢は笑いだけじゃなくて
すべてにおいて無責任だったり
不誠実だったりムシが良すぎるスタンスに
なりかねない。
謙虚さが没落していくのもそのためだ。

自給のバランスが崩れているから
ハイソなツッコミさんは
目の色を変えてボケを探す。
物色しては
ボケでもない人でも粗探されては
ボケに仕立てられてツッコミ入れられる。
そういう人はそういう気持ちはなかった
にも関わらずそういう扱いを受けるので
冤罪にも似て、理不尽にイジケてしまう。
イジメもここにある。

あんまりよくない流れ
というか笑い自体も面白くない。
意地悪と笑いは別モノなんだよな。
そのへんのセンスが欠けている。
なんたってハイソですから(汗)

笑いの対極にある涙
つまり嘆きや苦悩、苦痛にしても
ハイソのそれは価値を認められない。
ハイソ自身がそのことを理解していないから
鼻につくだけで
ぶち壊しになってしまう。

恐い現象だと思う。

その人の言動
笑いや悲しみがどこに位置しているか
ハイソかロウアーか
どういう姿勢なのか
階級のカテゴライズじゃなくて
姿勢ですよ。
無論、自分自身も常に意識していないと
面白くもなんともない
なんの真実味もない
つまんな~い人になっちゃうぞ。

なんてったて面白い人が
面白い人生を送れるのであって
面白くない人の人生は、面白くない。