あかんたれブルース

継続はチカラかな

カメカメカメカメもっとカメ



変な話なんですが
KAT-TUN亀梨和也が好きです。
このジャニーズ事務所のアイドルを
とても好意的な目でみつめる理由は
妖怪人間べム役の好演もさることながら
一番ソングショーで飛び出す
彼の幼少期におけるマセたガキの淫らな妄想告白に
アイドルを超越した微笑みの親近感をもつからだ。

小学生がテレビに登場する
(彼からみたら大人の)女性に
家庭教師とか看護士さんとか
団地妻とか未亡人とかを
神格化して崇拝し、ときめいていたという。

うん、わかる。

こういうことを書くと
また馬太郎の与太かよと思われるのでしょうが
「想像力」の欠如というのが
いまの日本人には欠けている。
これが大きな問題であり、弊害を生んでいる
とわたしは考えます。

昨日、お話をうかがった先生は
学校教育に循環メカニズム学を取り入れようと
指導者向けに「環境循環」教育のテキストを
作った人でした。
小・中・高校の教職員向けのものですが
なるほど、と膝を叩いた。

世の中が因果によって様々な悲喜劇を
生んでいることは誰でも理解できると思う。
これは原因と結果の科学的な法則です。
オカルトじゃない。宗教でもない。

しかし、私たちは
その因果を単体で考え、それだけでしかみない。
ひとつの因果の結果で思考停止になってしまう。
だから、作ったら作りっぱなし。
その後なにが先々起こるかには気がまわりません。
というか考えないようにしてるかもね。

とにかく、目先の、取り合えずの現実で
物事を考え、天災は忘れた頃にやってくる。
天災なものか。
それは当然の厄災人災の結果だ。

作って消費したらゴミがでる。
当たり前のことであり
環境の循環はそれを理解するのに
よいヒントなのだと思う。

幸運不運の話をしてきましたが
私たちはソレはどこかで向こうからやってくる
ように考えているものです。
違うんだな。ババは自分で引いている。
ババという不運とやらは
常にオンゴールなのだ。
そして、それも決定打ではない。
ゲームは死ぬまで続いていて
因果→因果→因果→因果→因果→因果・・・
と続いて循環しているんだ。

だからこそ、
(因果の)循環教育が大事なんだなあと
納得したものです。
そういうことを昔の日本人は知っていた。
落語の「風が吹いたら桶屋が儲かる」
みたいなものです。

その先をみる、そのための想像力。
こういうのが大事なんだと思います。
気分や風潮に流されていけない。
私たちはもっと科学的に生きるべきだと。
それは決して情緒や情操を否定するものではなく
むしろそれが大事なんだとも、思いました。