あかんたれブルース

継続はチカラかな

シンプルライフ

生きるってこと (2)


一昨日、息子と風呂に入っていた。
湯船で歯磨いていると
洗い場で体洗ってた息子が

「ねえパパあ人間はなんのために生きるの?」

・・・ん、んっ
キタアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!

息子が
物干し竿で黒田節を舞うわたしをみて笑って
ハイハイしてパパと言葉を発して
歩きはじめて
ああはやく君と人生を語りたい
と思ったあの日から十数年。

高校一年の五月二十一日に遂に来た。
息子と男親の醍醐味だ。

しかし、のっけから難しい質問だなあ(汗)。
なんでそんなこと考えたの?
「授業で宇宙の壮大さを知って考えた」
そうです。自分がちっぽけな存在だと。

息子よ、パパもいま湯船に浮かぶ
ちんちんを眺めてそれを考えていたところさ。
シンクロしてるねえ。


昔、初詣で並んでいるときに
大人と子供の時間の速さが違うって話
したの憶えているよね。

さっきテレビでウスバカゲロウを紹介
していたけれど
羽化してから一週間しか生きない。
(実際は二~三週間だそうです)
セミも地中から出て一週間で死ぬ。

対して鶴は千年亀は万年というけれど
まあそれはそれとして
人間は平均寿命がのびて
80年ぐらいはざらに生きるとする。
このとき、カゲロウと人間の時間の感覚は
同じじゃないと思わない?

「うん」

で、人間にも個人差があって
八十まで生きる人もあれば
特攻隊で十八で死んだり、病気で幼くして
死ぬ子供もある。
けれども、実は長い短いってあんまり関係ない。

生きることと死ぬことは一緒。
生死はセットにして考えるものなんだ。
でも今は生きることばかり大事にして
死を忌み嫌う考えが主流になっている。

世の中は個人差があって平等公平じゃない
けれども、死は確実にみんなが平等に
抱えている宿命であり、
人間は生まれたときから死にむかっている。

わかるかな?

で、さ、カゲロウとかセミとか
オケラだってミミズだってアメンボだって
みんなみんな生きているんだ。なわけで
すべてに意味がある。というか
役割がある。

「生態系とか循環だね」

そうだ。その通り。

ただ、人間だけがそうじゃないという人もいる。
人間は必要ないって。地球の害虫だって。
確かにそうともいえるけれど
パパはそうは思わない。
たとえ、人間が地球に寄生する害虫であっても
存在するということは、なにかの役割が
あるはずと思うのだ。

「仕事」があると。
これを天命とかいうけれど
それに気づく人、気づかない人がいる。
これは仕方ない。
仕事を与えられてめんどくさいと思う人は
それには気づかないだろうし、
仕事を与えられて楽しくやれる人は
ずんずんやるさ。勝手にね。
それを損とするか得とするかはその人次第だ。

イヤイヤやる人と楽しくやる人
ここにも個人差がある。
はたしてどっちが幸せか。

ただ、これまでそういった天命とかいうものを
なんか天から選ばれた既得権益みたいに
考えられていたと思う。特権ね。
選民とか才能とか

でもさ、どうも違うみたいなんだよ。
たとえば、坂本龍馬を知ってるだろう。
龍馬の偉業は龍馬が特別だったわけじゃなく
龍馬の周囲の人がみんなでそうさせた
と考えるのが正しい。

つまりみんな繋がっているわけで
それぞれにみんな役割があったってことだよ。
だから、もし、龍馬が死んでも
新しい龍馬のような人が生まれて後を継ぐ。

「でも龍馬のような人はでなかったんじゃない」

それは時代環境から必要とされるわけで
龍馬のような人はもう必要でなかったのかも
しれないし、違うタイプの人が
龍馬の事業を受け継いだんじゃないかなあ。
陸奥宗光とか山本権兵衛とか児玉源太郎とか
杉山茂丸とか、まあそれはいいとして。

で、なんで人間は生きるのか?

人間自体で考えれば幸せになるためだ。
人間個人に考えた場合
自由とか愛とかあるけれど
地球規模で考えれば、その役割を果たす
ことになるんじゃないかと思う。
それを知り、それを担い、行うこと
のために生きるんじゃないかな。

それを天命とかいうけれど
もっと手近に「志」といってもいいだろう。
そういうのがあるとターボがついて
すごいよ。ぶるんぶるんだ。

「パパあちんちん振らなくてもいいよ」

君もそういうのをみつけられたらいいね。
それには有限の人生で出合える人も
有限だから、必ず出合った人に意味がある。
みんな繋がっているんだ。
そこにヒントがあるから、それをよく
受け止めて人とは付き合うようにする。
これを心得ておくといいと思うよ。

大臣になるとか社長になるとか
そういうんじゃなくて
自分の仕事をみつけて、やる。
そうすれば自ずと道は開けるものだ。

今、今の事をことを
今出来ることをしっかりやれば、
次のステージにすすめるものです。
一寸先の闇の先なんてものに不安心配せずに
今できることをしっかりやる。
困っている人がいて
自分がなにかできそうだったら
やれることがあったら、やる。
それだけ。
やりたくなかったらやらなくてもいい。
フェアに生きればフェアな道が開ける。
卑怯や卑屈に生きればそういう道筋に陥る。


非常にシンプルなのだ。