あかんたれブルース

継続はチカラかな

うっかり菩薩の盆と正月

つぐみのゆりかご(2)


『Mother』では人間の一生
その死についても考えさせられました。

うっかりさん(田中裕子)の人生は
幸せなものではなかった。

でもね
彼女の人生の最後の日は
とても幸せだった。

 余命いくばくもなく遂には医療機関
 みはなして、死を待つばかりの
 うっかりさん(田中裕子)に
 娘・奈緒松雪泰子)は家に帰りましょうという。

 久々の我が家でうっかりさんを
 迎えたくれたのは
 彼女が飼いたくて仕方なかった
 ツガイのインコ
 一人暮らしで自分の死期が近いことを
 知る彼女は飼うことをためらっていた。
 奈緒がその話を聞いて買ってくれていたのです。

 そして、その日
 北海道の施設からつぐみが帰ってきて


「盆と正月が一緒に」
なんていう陳腐な形容(実際にシナリオに有)が
みょうにぴったりの華やいだものでした。
みょうに元気でね(笑)。
本当に死ぬのかな?
このまま元気になったりして、なんて
観るものにあらぬ期待をもたせるように

そして、翌朝
彼女はそのまま目を覚まさなかった。

それを哀しいとは思わなかったな。


どうせ死ぬならぽっくりいきたいね。
強がりじゃなくて心底そう思う。
別に長生きなんかしたいと思わない。

そういうとナースの友人が
「それは贅沢というものよ」と釘を刺す。痛て!

古今東西の著名な923人を死亡年齢順に
臨終の様をまとめた山田風太郎
大長編エッセイ『人間臨終図巻』では
不慮の死を別にすれば
だいたい八割が苦しんで死んでいる。

よく死ぬのが怖いという人で
このまま眠って明日の朝死んでたら・・・
それが怖いという人がいるけれど
わたしには理解できません。
痛いの嫌だし寝たきりも嫌だ。

誰かが、人生の幸せと不幸せは
同等の等価交換だっていってたけど
それはあるのかなあと
うっかりさんの最期を傍観しながら
思いました。

たとえ作り物のドラマであっても
いや、ドラマだからこそかな。


生きることと死ぬことは一緒という
考え方がある。そうだと思います。

生き様という言葉があります。
であれば、死様という考え方もある。
わたしは幸せと不幸せを等価交換とは思わない。
それはその人それぞれの考え方次第だと。

真宗という仏教は他の仏教とは
ちょっと毛色が異なるもので
キリスト教と仏教の中間にあるような感じです。
信じれば誰でも極楽往生できるのだと。

でもそうなると数があわなくならないか?

仏教全体の無論真宗も否定しないだろう
輪廻の法則と矛盾してしまわないか?
と考えたりする。

ははあ・・・みんなが往生できる
わけじゃないんだ。
なかなか信じられるものじゃない。
クチでいうのは簡単ですが
他力を会得して謙虚に生きるって
そうそうできませんものね。

その意味からすれば
うっかりさんは確実に往生されたわけだ。
菩薩になられた。
っていうか、すでに菩薩だった。


わたしはあと何度、輪廻を繰り返すのかしらん?

そしたら・・・

まず君を探すよ。
こんどこそ、はじめから