あかんたれブルース

継続はチカラかな

感受性と視聴覚



息子が明日から期末試験だそうで
国語の教科書をみせてもらいました。
試験範囲は「水の東西」「聞くことについて」
だそうでちょっと読んでみたのですが
これがなかなか面白い。

西洋人は水をカタチで捉えるそうで
噴水などがそのあらわれだそうな。
対して日本人は水をカタチとして認識しない。
音とか時間で捉える。
「カタチなきものを怖れない」
積極的な感受性があるようです。
キリスト教文化と日本人文化の違いだ。

カタチのない愛でも怖れない。
そういう感性かな
多分、女性は受け入れないだろうけど(汗)


聞くことについては
教科書を離れて違うことを考えさせられました。

聴くというのは大雑把にいえばBGM的で
鳥のさえずりとか音楽、クルマの騒音とか・・・
一方的に向こうから聴こえてくるものですが
ただし、
その人の意志によって聴こえるもの聴こえないものの
個人差がある。
地下鉄の電車のなかでも恋人の囁きは聞き逃さない。
聞こうとしているからですね。

男と女

女はわかってほしいという。
男はわかろうとしているが
それでは納得してくれない。
女は聞いてほしいだけ。
男はその問題をなんとか解決させようと考える。
そんなことどうでもいいのだ。
わかっていてもできないことはある。
だからわかりたくないこともあるんでしょう。
問い詰めれば話をそらしてくる。
その言い分が理解できない。
ここで同意してしまうと取り返しのつかない
ことになるんじゃないかと焦ってしまう。
男はバカだというけれど
これでも一生懸命ないんだよ。
嗚呼、男と女の間には渡り切れない川がある。

と、息子の教科書に

「相手の苦しみをそれと認め、受け入れることは
 それに同意することでも同感することでもない
 心を一つにすることでも
 理解できるというものでもなく、
 言葉をそのまま受け止めるということ
 そのことに意味がある。
 聴くだけという受動的な行為がケアにおいては
 最も深い力を持ちうるのも、そういうわけである」

なるほど、そういうわけか。
なかなかいいこと書いてあるねえ
と、息子に問えば・・・寝てるよ(汗)

おい、明日テストなんだろう。