あかんたれブルース

継続はチカラかな

呪いをバカにしちゃあ、いけないよ。

屠られる羊たち(2)


私たち現代の日本人は迂闊というか
傲慢、不遜になってしまったのか
すっかり呪いの恐さを忘れてしまっているようです。
そういうのは貞子とかのホラー映画とか
本当にあった恐い話みたいな番組だけの話で、
一種の娯楽のアイテム化してる。

その実、日本人ほど呪いや怨霊に対して
ナーバスな民族(先進国で)はいないんじゃないか?
これもまた科学文明を履き違えた
仇花が咲きほこったせいなんでしょうねえ。

いじめに対する是正策で法的規制を強化
という人もいますが
そんなことで効果が見込めるのか、疑問。
非科学的と批判されるでしょうが
呪いの恐さをもっとみっちり教えたほうが
いいんじゃないかな~と思うよ。
例えば例の道徳の授業とかででも
総合の授業でもいいし。

先月あった山口県の連続殺人事件
現代の八つ墓村なんていわれましたが
あれなんてまさにそれだよね。
戦争の極限状態の人間の狂気も恐いけれど
平和な日常のなかに住む鬼のような人間の心理
っていうのも恐い恐い。
きっとその平和な日常っていのが問題なんでしょうね。

怨霊の条件っていうのは
(1)憤死 (2)加害者の後ろめたさ だそうです。

人間は憤って、死ぬか?
について様々なケースから検証した結果、
あるそうです。
喜怒哀楽で人間は死ぬんだな。
パチンコで777が揃って死んだ人とか
お笑い番組で笑いすぎて死んだ人とか
落胆して死ぬとか、腹上死とか・・・
そんななかで憤り、相手を呪いながら死ぬことは
もっとも多いケースかもしれませんね。

(2)は、呪縛は人間が作り出しているってこと
でもある。だから、狂信的な加害者には
怨念は感染しない、ってことでもある。
皮肉なことですが、良心があると呪われやすいんだ。
しかし、これ・・・どこまで通用するか?
精神の消耗戦のようではたしてそれだけを手法に
用いるのはとても危険だと思う。
この成功例では明治期まで活躍していた
首斬り(山田)浅右衛門でしょうか。
代々、首斬り役人を務めるた山田家でしたが
浅右衛門が執行した死刑囚で冤罪云々関係なく
恨みもって死んで者たちは多かったでしょうが
浅右衛門曰く一遍も化けてでられことはなかったとか。

わたしはこの辺りに中国人が虐殺行為で
死体を冒涜する性癖の動機があるんじゃないかと
思ったりします。
つまりあれは儀式なんだね。呪い封じの。
無論、日本人にはない。
だから虐殺写真とかで死体を冒涜してるのは
犯人は日本人ではない。(ただし精神異常者は別)

ただ、とばっちり、逆恨みっていうのもある。
まったく心当たりが(本人さんの認識だけど)ない。
(2)より(1)が勝っていれば
呪いは成立する。

(1)が勝っても呪縛に転ぶし、難しい
いや恐いものです。

呪いというものを
オカルト的に捉えるのではなく
もっと科学的にエネルギーとして考えてみる
必要はあるんじゃないかなあ

たとえば、中国や韓国の現在の有り様
あれは意図的に国内の負のエネルギーを
国外他者、つまり日本に向けたものです。
呪いなってるんだ。
まったくいい迷惑ですが
人を呪わば穴ふたつで呪った方も呪われる。
結果、そうなっていってますよね。

とはいっても、日本もしっかりしないと
なんたって呪われているわけですから
そこは毅然と祓わないといけない。

こういうことを抜きにして
やれ友好だ協力だと損得勘定だけの正論で
事をすまそうとしてきたから
事態はここまで悪化してわけだ。

よく税制改革とかで
子供達に負の遺産を背負わせないためにと
いうけれど、これこそが負の遺産ではなかろうか
と思うわけです。