あかんたれブルース

継続はチカラかな

怨霊半沢直樹の伏線

屠られる羊たち(6)


超人気ドラマ『半沢直樹』の最終回(だけ)
観てしまった(汗)
これまで気にはなっていたのですが
テレビドラマを、しかも途中から観ることに
抵抗があって、ずーっとスルーしてきたのですが
昼間にTBSの番宣でダイジェストを観てしまい
だいたいの流れがつかめたと、観ちゃった(笑)
面白かったですよね。

半沢直樹』でもうひとつ気になっていたのは
たぶん今年の流行語大賞で「じぇじぇじぇ」と
熾烈な争いとなるだろう
「倍返し」です。
最終回は100倍返しでしたが(笑)

中国や韓国でこの番組が人気なのは
この仕返しの理念があるからだそうです。

これは面子根性もあるけれど儒教の影響でしょうかね。
儒教では恨みは晴らさないといけない。
西でいえば「目には目を」です。

日本人は易姓革命を否定することから
それほでもないのですが
時代劇の勧善懲悪、任侠映画の我慢劇でおなじみで
みんなどこかでそれを大望してるのは確かだ。

それくらい、現実世界で理不尽なことが
罷り通っているわけでフラストレーションを募らせて
いた、わけですよね。わかるわかる

しかし、だ
この呪いの暴力教室書庫で警告を発するように
「恨み」とか「呪い」はマイナス思考であって
その負のエネルギーは当人に良い働きをしない。
「人を呪わば穴ふたつ」で、必ず自分にも返ってくる。
そういう法則があるから
半沢直樹』の「倍返し」が社会現象になるのも
考えものかなあ、と心配するわけです。

「だったら泣き寝入りしろっていうの!」

いやそうはいわないんだけど
やり方とか気をつけないといけないと、ということで
テレビドラマみたいにホイホイとはいかない。
ってことかな

そんなことを考えながら最終回を観てたら
最後の最後に、主人公が昇進するんじゃないなくて
子会社に出向という左遷人事だ。
しかも敵役の常務は平取締降格だけという結果。
まあ、続編を睨んでのラストなんでしょうが
視聴率30%というこの人気ドラマの信奉者たちは
このラストをどのように受け止めたのだろうか?
所詮はドラマ?フィクションの世界?

遺恨とは別次元で
現実的な話としてなのですが
わたしは個人と法人(会社組織)について考えてしまう。

法人は形式だけではなく、個人の集合体である
「生き物」です。そこには本能や意識意志がある。
決して無機質なものではない。
組織の堕落は、イコールそこに組する個人の
堕落でもあるわけです。
この点は半沢直樹も訴えていましたよね。

わたしは先々月にオンエアされた
NHK土曜ドラマの『七つの会議』
(時を同じくしてのカネボウ花王の関係)
大河ドラマの『八重の桜』の会津藩
川崎尚之助の関係などを重ねてしまうのです。

はたして、半沢直樹の言動は正しいのか?
ドラマでは、直属上司と頭取が二度にわたり
「もうそれぐらいでいいじゃないか」と諌めた。
通常のドラマのお約束や一般常識では、そうなる。
だから私たちのフラストレーションは募った。
時代劇であれば、斬り捨てられるのです。
桃太郎侍でも鬼平でも破れ傘刀舟でも
「てめえらなんざ人間じゃねえ!」って

現代劇じゃあそうもいかない。

だから、昨夜おおくの視聴者が
部長や頭取が諌めるのも聞かず半沢が
大和田常務を追い詰めて土下座させた場面では
溜飲を下げた。

下げたあとの13分後のラストのどんでん返し
左遷人事をどう受け止めたのだろうか。
続編の単なる伏線じゃあ・・ちょっと
おめでた弁護士なのではないかと思う。

「半沢さんセントラル證券にしっこしました」


カぁット!