あかんたれブルース

継続はチカラかな

夜叉の改心

チェブラーシカと一緒に(9)


京都綾部の事件は論外として
三鷹のストカー殺人はなんとも合点がいかない。
といって、この手の事件、多いですねえ。
フラレたからって相手を殺すものなんだろうか?
無理心中だったらわからいでもないけれど。
確かに愛憎という言葉通り
愛と憎しみは背中合わせにあるとは思うけれど。

加害者は今後、
どのような気持ちの整理をするんだろう。
綾部の事件が精神鑑定をもとに不起訴になるとしたら
こういったストーカー殺人などの
自己中心的で合点のいかない事件はみんな不起訴に
なってしまいそうで恐い。
納得いかない。

なにか根本のネジが狂っているんじゃないか?

自己の肥大化。
それが暴走しているんだ。過剰に。
わたしはそういうのを「病気」のせいにするのは
誤っていると思います。
また、その病気の大きな原因になっているのも
そこからなんじゃないかと考える。
その原因を具現化するために
「鬼」の存在を炙りだしてみました。

鬼とはなにか?

情けないものというのが、ここでの結論です。
これには2つの意味がある。

その(1)
情けを拒絶してしまうことで、迷いを断ち
そこから徹底性と強さを得る。
非常に合理的で手っ取り早い手法でしょう。
これは、クール[cool]の持つ意味に
「冷たい」「冷静」「冷淡」「かっこいい」に
あるんじゃないかと、わたしは思う。
それと、グダグダ葛藤するのはめんどうくさい。
ずばーっと、ドライ割り切って、ちょんで
いいんじんじゃないか。精神衛生上にもと。
だから好んで鬼を歓迎した。
はたしてそれでうまくいくのかなあ?

クールの履き違え
なんかアニメやドラマのキャラクターに影響
されているのかもしれません。

その(2)
それとはまったく逆の意味での
情けないという意味。
日本は恥の文化を有しているのですが
そんなものカエルのツラに小便
浅ましく狡猾で嫉妬深く卑怯な恥知らず
そして開き直る
「現実は厳しい」とか「生きるため」とか

そんなの現実ではない。単なる言い訳
そこまでして生きる価値などない。
といってやりたいのですが
わたしがいう必要もなく、
それは本人さんの魂の問題です。

ま、だから(2)はクールでもなんでもないんだな。

ま、とにかくどっちも「情」がなわけです。
勘違いといえば、この「情」の本質を誤ったのが
発端だったんではないか?
情(人情)=煩悩みたいに・・・
たとえば、『昭和残侠伝・唐獅子牡丹』だ
♪義理と人情秤にかけりゃあ義理が重たい男の世界
「親分さんには何の恨みも御座いませんが
 渡世の義理です。死んで貰います」
http://www.youtube.com/watch?v=O31EWmOa4_c
しかし、渡世の義理とはいえ、
義理の相手が志村喬片岡千恵蔵じゃなくて
山形勲とか天津敏とか遠藤辰雄とか安倍徹だったら
はたして義理を通せたんだろうか?
どうもこのあたり(60年代)から怪しくなって
仁義なき戦いに突入していく。
http://www.youtube.com/watch?v=aCIV0y89Ha0
つまり、人情が屠られて
仁義さえも失って闘争の世界に突入した。
そして、秀次郎は夜叉となる。
http://www.youtube.com/watch?v=agSGos6fkZc

いまじゃそんなもの流行らない。
不器用だしね。
ま、だから残侠なんだけどさ

こんな夜叉もいた。
http://www.youtube.com/watch?v=hIcS0rNLXzo
http://www.youtube.com/watch?v=x3OFirktq5k
別に宗教をすすめているわけじゃないんです。
それもひとつの切っ掛けであって
恋愛とか結婚とか人との出会いとか
人が人に戻るための切っ掛けのひとつだった。
ということですかね。