あかんたれブルース

継続はチカラかな

エポニーヌを探して



『八重の桜』で
徳富蘆花が読んでいたのが
レ・ミゼラブル』~ああ無情~
ヴィクトル・ユーゴー
この名作を執筆したのが1862年文久年間)
明治23年頃の蘆花たちが読んでても
おかしくないないわけです。

小説というものが否定された時代。
蘆花は兄徳富蘇峰に対してコンプレックスがあった。
兄は明治を代表する新聞記者三傑の一人。
また、文学なんてものになんの価値もない
とされた時代でもあった。

文学で貧しい人間は救えない
人を国を豊かにするのは科学であると。
そう信じられ、そしてそれは
いまでも信奉されている。
ただし、その科学とやらの中身がだいぶ怪しいけれど。

日本人は近代化というものを
工業の発展だけと履き違えてしまった。
それは日本人だけでもないけれど
ともかく私たちは豊かではないわけだ。
どこまでもそれはつづく
最初のボタンの掛け違えがゆえに


レ・ミゼラブル』は
ユーゴー自身が作品に投影されつつ
コゼットは彼の妻アデールと
愛人のジュリエットがモデルだと言われている

これは愛の物語

この原作をもとに生まれたミュージカル
レ・ミゼラブル』では
哀しいファンティーヌとその娘コゼット以上に
観客の心を捉えてはなさいエポニーヌがいる。
(原作とは設定が少し変えてあるんですが)

わたしも30代はじめに
島田歌穂が演じて歌ったエポニーヌに
魅了された一人です。
わけもなく涙がボロボロ流れて仕方なかった。
最後まで観ていたかったんだけれど
連れがぐずるので途中で席をたったのでした。
正直なところ最後まで観ていられなかったのかも

" On My Own "
http://www.youtube.com/watch?v=GHuvpJ2W4oM
http://www.youtube.com/watch?v=KF2FvWlw-jU

そのせいか
わたしはずっとエポニーヌが気がかりです。
つまり彼女の(劇中での)死を知らず
ずっと淋しがっている彼女を探しているのだ。
どこかの街角で道に迷っていやあしないかと

よく、女どもに毒づかれることがある。
「あんたはただ可哀想な女が好きなんだよ」
とか「お前はSだ、ドSの変態野郎!」とか

弁解はしないけれど
そうじゃないんだ
わたしはずっとエポニーヌを探しているだけ
の、ただの変態です。