あかんたれブルース

継続はチカラかな

極論ジャーの泥試合

I&U研究所(8)


所長が落ち込んでましてめそめそ悲しんでる。
なにがどうしたのと問うたなら
どうもテレビかなんかでフォアグラ製造の
プロセスを目撃したのが切っ掛けみたいです。
「知っとったか?」
「ああガチョウだかダチョウだかに
 無理してエサ与えて肝臓肥大にするやつ」
確か若い頃に漫画の『おいしんぼ』で
紹介されたんで知ったのかな
世界三大珍味のひとつ
キャビアとトリュフは別に大したことはない
けれど、フランス料理で調理された
フォアグラ料理を一度だけ食べたことありますが
非常に美味いものです。

ま、和製アンキモだね。

所長はキャビアもトリュフもフォアグラも
食ったことないはずです。
だいたいこの人は超ビビリで食わず嫌い。
それに超頑固で、キムチは子供たち説得され
30過ぎてから食べられるようになりましたが
アボガドが食べられるようになるのに
わたしは三年口説いたものです。
その他にも生春巻きとか今だ懐疑的です。
アンキモだって食わない。
だいたいレバ自体が苦手じゃないか(汗)

だからフォアグラなんて気にすることないのに
口を固定されたガチョウの画像が
可愛そうで可愛そうウルウルになっちゃた
まったく乙女チックな婆様だ。因みに孫四人。

そうではなく、所長の嘆きはもっと哲学的で
それは彼女自身が母なる地球「マザー」に
同化してしまったことにあるようです。

ま、確かにねえ
昔、たまたま食い意地の張ったダチョウがいて
そのレバーがたまたま美味かったことか
発見された偶然から誕生した食材だ。
たまたまだから王侯貴族ぐらいしか
クチにできなかったのかもしれませんが
フランス革命以降、産業革命以降・・・
それが自由と経済の発展の飽食から
量産されることからこういうことになったわけで
ま、これも人間のエゴなんでしょうよ。

そういう人間のエゴや矛盾が
マザーの小さな胸をしくしくさせるのだ。
で、来月は河童ピヨ子と久々の旅行なのに
晩飯の食べ放題が食べられない
無理だと言い出す始末。
「今やったら豚ぐらいしか無理やわ」と。

おいおいそれは違うだろう(汗)

昨日の「極論」の記事もそうですが
どうもそういう罠に引っかかってしまう。

確かに、フォアグラの強制給餌には世界的にも
批判が高まって規制や禁止の動きが広がっている
ようです。
まあ、別にねえフォアグラぐらい食わなくても
そんなに不便はしない。
絶品のアンキモはそれ以上の魔味ですから。
というと、「アンコウも生き物です!」
と噛み付く極論ジャーが飛び出してくる。

動物愛護団体の活躍でフォアグラが禁止
されつつある功績には敬意を表するけれど
そこから拡大して動物性タンパク質拒絶の極論は
どんなものなのか?

そりゃあ筋としてはそうなるんだろうけれど
つまり彼ら(ベジタリアン)は肉食自体を否定する。
そうなると魚もアウトになってしまう。
「それでも十分、野菜でも生きていけます!」
というと、今度は反対側極論ジャーが
「野菜や植物も生き物だ!」
「野菜だって痛い痛いと声なく悲鳴を発してる」
という感じで泥試合になってしまうわけです。
「空耳だ!」
「聴こえないのか!」
「論拠をしめせ」
「ろんよりしょうこ」(?)

こういうのって小学生並の論争だよ。
論争という言葉を使うのも恥しくなるほどの
短絡的な思考だ。

笑い事じゃなくて、こういう極論ジャーが
蔓延している。ネタは食い物だけじゃなくて
憲法改正や教育改革や経済・財政問題などなど
有識者といわれ方々もコレですから。

「そんなのは『過剰』の極みだ」と
所長にはこう嗜めておきましたが
ふと さ、所長の「豚ぐらいしか」という言葉が
引っかかったのです。
その愛護団体の活動で色々抗議しようという
アドレスが列記されていましたが
そのなかでベトナムの祭りにおける
豚に対する残虐行為(生贄)をやめさる運動
というのがあって、画像があったので観ちゃった。

ベトナムのフェスティバルで生きたブタが
真っ二つに切り裂かれ殺されるのをやめさせる署名★写真閲覧注意。
http://amour918.blog.fc2.com/blog-entry-903.html

すごいね(汗)真っ二つだよ。

残酷といえば残酷なのだけれど
しかし、それを異文化の外国人が口出すべき
ことなんだろうか?
ま、ベトナム人が自主的にといのなら別いいけれど
そういうことを我々が言い出すのは
越権とうか僭越じゃないかなあ。

まず、これひとつと、
この生贄にされた豚と
身動きとれない豚舎で劣悪な環境で
生かされ屠殺されいく豚と
どっちが悲惨なものか?
「どっちもー」なんだろうけれどさ
だからってじゃあ豚は食わないのか?
というと「食わない」と言い出しそうで
話にならないので、話しません(汗)。

あんたが食わないのは自由だ。
しかし、それを他人に強要できるなか?
いや、そういう手法で効果があると思うのか?
そのへんの脳の思考回路が理解できない。
いわんとするところの8割9割は賛成でも
結局その傲慢さにドン引きしてしまうよ。
原発反対運動もここでミソをつけてる。


結局、所長にこの画像とこの話をしたかった
のですが、豚も食べられなくなるといわれたら
困るのでやめてしまった。 

が、こういのって
どうでもいいことじゃなくて
ある意味での哲学的な、もしくは経済とか
今後の私たち人類が構築していく社会のヒントに
なるのではないかと思うのです。
そういうのをさ、めんどくさいとかして
極論や性急な技巧的スタンスや逃避や思考停止で
すまさないで、どうせみんな暇なんだから
その暇な時間に考えてみる
ってことは、逆に精神衛生学上よいのではないか
と思うのです。

上記の画像は残酷ではあるけれど
目をそらさずに、観察してご覧よ。
脳の刺激にもなるかも。所長は見ちゃダメ。