あかんたれブルース

継続はチカラかな

可哀想と可愛いだけじゃダメなのよ

I&U研究所(残酷な話-4)


現在はそうでもないんでしょうが
動物ドキュメンタリーで
たとえばサバンナで
ライオンなどがシマウマなどを襲う絵図は
とても残酷と観られていたはずです。
シマウマはそのとき恐怖で身動きがとれない。
だいたいは鼻と口を塞いで窒息死させるのですが
たまに下腹部を噛み破るのはやいと・・・

弱肉強食の過酷な自然の現実の図

現在ではその後にライオンの子供たちの映像や
狩りが失敗(するほうが多い)などを組み合わせ
みんな「必死に生きている」と理解させる。
捕食(食べる)・被食(食べられる)の食物連鎖

でもやっぱり草食動物は可哀想・・・と
心を痛めてそれを矛盾と考える大の大人はいる。
日本漫画界巨匠手塚治虫もそうでした。
ジャングルの世界を舞台に、
そのライオンを主人公にした『ジャングル大帝』で
じゃあ主人公は何を食べてるの?と
この問題を突きつけられたのでしょうね。
レオが今まで仲間だったインパラのトミーを
ガブーってわけにはいかない。
トムとジェリーじゃないわけだ。

そこで天才手塚治虫が捻り出しのは
ジャングルレストラン
捕食=学校のいじめというイメージで
考えたようです。いじめっ子は肉食動物。

しかし子供心に、草食動物はいいとしても
肉食動物の食材はどうやって調達するだろう?
死肉? で間に合うのかあ?

辻褄があわない。と半世紀近く
わたしたちを悩ませるタネとネタだったわけです。

理屈ではわかっていても
アザラシの赤ちゃんがシャチに襲われたり
白熊に襲われたりする図は痛い。
シャチや白熊にはなんとか理解しても
鮫には感情移入できません。
それは私たちが稚拙だからなのだろうか?

捕食動物の大きさにも関係し
鯨は大量に飲み込むのでセーフで
鮫は食い千切って人間も襲う。アウト
顔も獰猛。アウト
シャチは人間を襲わない。セーフ
イルカは小魚しか捕食しない。セーフ

白熊は可愛いからセーフ
ライオンも子供が可愛いからセーフ
狼もギリギリセーフとしても
ハイエナやハゲタカは微妙・・・
見てくれにも影響します。だろ


でもさ、一番残酷なのは人間かもね。
氷雪のうえに皮を剥ぎ取られた真っ赤な
アザラシの赤ちゃん
その側を離れない母アザラシの図。
その毛皮が高価というための人間の捕食
生きるためという大義名分がそこのはあるけれど

だから、密漁として規制している。
その延長線上に鯨やイルカもあるわけですが。
その線引きが難しいわけですね。

話題となった旭山動物園を描いた映画で
(『旭山動物園物語 ペンギンが空をとぶ 』)
動物愛護団体が可哀想だと抗議する場面が
ありました。それを必死で説得する。
劇中の抗議者達を説得するためではなく
観客に対するエキスキューズだ。
それでも半分は半分でしたよね。

そのなかの説得弁論で
「動物園のほうが長生きできる」
というのがあった。

長生きできれば幸せなのか?

この言い分
しかし、私たちはこの長生きというものを
信奉している。
衣食住に困らず、健康管理も万全
危険もない。安全保障完備の動物園。
人間のためにもなっている。

わたしは動物園を否定しようなんて
これっぽち考えていません。
ここでのテーマは「残酷」です。

森林伐採や砂漠化、開発などで
多くの動植物が絶滅危惧種になっている。
人間はライオンを食べないけれど
(『沈まぬ太陽』ではライオンの肉が
 最高に美味いと紹介していましたが)
こういったサバンナの生き物は
(肉食・草食含めて)
毛皮や剥製、サーカスや動物園のために
捕獲されていきました。捕食者(?)は人間。
ジョン・ウエイン主演の『ハタリ』(1961年)
という映画も製作された。

日本では自然動物の保護に力をいれいますが
各地で大量発生して問題になっている。
開発と天候不順が彼らとの共存を妨げている。
共存の観念に問題があるのかもしれません。

本来日本にいるはずのない外来種
猛威を奮い生態系を壊しているとも聞きます。
たとえば、アライグマがタヌキを駆逐する。

可愛いとかペットで飼いはじめて持て余し
捨ててしまってそれが繁殖した。
食料として飼育されたのが頓挫して
繁殖しだした。元凶のもとは常に人間だ。

可愛いと可哀想は繋がっている。

鯨が可哀想、イルカが可哀想・・・
そしてマグロとなる。絶滅問題として
しかしイルカとマグロの中間に位置する
鮫はどうなんだろう?
フカヒレの規制もあるから、きっと
鮫も例外じゃないんでしょう。

悩ましい問題だ。

それがゆえに一発解決で菜食主義という
力業が叫ばれるのでしょうが、それじゃあ
この問題は解決はしません!

この問題は人間が背負う宿命的な課題だ。

菜食を支える農業ですら危機に瀕している。
それもこれも人間の「過剰」という性質が
禍していることを理解しないといけない。

この難問の解決には
自然との共生共存にあると思うのです。
ジャッジは自然であるか不自然であるかだ。
無論それは手塚治虫のジャングルレストラン
なんかじゃない。

日本人だけではなく、人類が
近代化というものを履き違えたのは
その自然(の法則)を蔑ろにしたことにある。
合理主義や効率性、価値観の履き違えとも
いえるのではないでしょうか。

それをただ断罪するのではなく
それもすべてプロセスとして考えれば
私たち人類は今、岐路に立っていると思うのです。

それは豊かさとか幸せというものの
価値観や生死観に対する考えを改めることだ。
「残酷」という感覚、意識の正体を
みつめることも同じだと思うのです。

わたしは、屠殺される家畜たちのその図に
感応してイコール残酷とする
しかしそれが、本質を見誤ることになる
と思うのです。
それは『旭山動物園物語 ペンギンが空をとぶ 』で
あった「長生きできる」という価値観が
私たちのなかで優先順位の上位に位置している
ことにもある。

ベトナムで真っ二つにされた豚
ハンマーで脳天を強打される牛
などの可哀想と
狭いゲージで身動きとれない家畜たち
口を固定され自由を奪われ太ることを
強要され、人工授精で生まれた我が子と
即時、引き離される可哀想さ

どっちも可哀想ではあるわけですが
どっちが可哀想が可哀想なのかを
考えるべきなんだと。
どっちが残酷なのかということだ。

尊厳だよ。

その解決に肉食反対を持ち出したら
なにも解決しない。これは断言します。
話が余計にややこしくなるだけ。
そういう過程は既に終わったのだ。