あかんたれブルース

継続はチカラかな

わたしのジェルソミーナ

I&U研究所(残酷な話-9 ギャップ)


映画音楽マイオンリーワンとするならば
alf.momさんは『太陽がいっぱい』を
トリックスターさんは『道』(ジェルソミーナ)を
選ばれた。
どちらも映画音楽の名曲・スタンダードに
入る名作なのだ。

このシリーズの残酷というテーマからいえば
前者は若さという残酷があり
後者は・・・ジェルソミーナ
彼女はオツムが弱い。いまでいえば障害者なのだ。
ために、旅芸人に売られた。
そんなジェルソミーナだけれども、とても
可愛らしい。途方もなく無防備で純粋で
天使のようなのだ。
なのに、彼女を買ったザンパノは野卑な男で
可憐なジェルソミーナを家畜のように扱う。
そして夜は欲望の捌け口とする。

ジェルソミーナは怯えながらも
そんなザンパノを唯一の頼りとする
それがまた切なくてねえ(涙)

名匠フェデリコ・フェリーニの傑作
この作品はロードムービーの代表作でもある。
http://www.youtube.com/watch?v=B_eBpSH9ZyY

ここにもエポニーヌがいる。
けれどもジェルソミーナはその哀しみを歌に託す
ことができないのです。
それが残酷なのか、それとも救いなのか・・・
ただそれを
ニーノ・ロータが代弁するかのように
奏でるその曲が観るものの琴線を揺らすのだ。
ザンパノがひどい男であればあるほどに

結局、持てあましたザンパノは
彼女を置き去りにして捨ててしまいます。

時が過ぎて
彼女の死を知ったとき、ようやくはじめて
この愚かな男は彼女を愛していたことを知る。
失ってはじめてそれを知る愚かな
そんな哀しい作品だ。

昨日紹介した『赤い風車』も障害者が主人公でした。
そういったハンデのあるものに対する同情を
不純なものだと批判する風潮がある。
上から目線だと。
そして同情という感情を糾弾するのだ。

か弱きものにそういう感情はそれほどに
罪深いものだろうか?
理屈を並べられればそうかもしれないけれど
感情は理屈ではない。
そういう感情は、バカバカしい幼稚なものなのか?
であるならば、わたしはバカで結構だ。
御利口さんになんかなりたくない。

それでもこの作品は残酷な作品でもある。
その証としてこのジェルソミーナのテーマの
メロディーを聴いただけでウルウルしてしまう。
厄介な旋律なのだ。

ギャップがある。感情を高ぶらせるそのわけは
ジュリエッタ・マシーナ演じるジェルソミーナの
無垢で純粋で可憐で疑うことを知らない
無防備さと怯えに震えるか弱きものに対する
憐憫の情だ。
それを同情として差別するが、そうじゃない。
それも、いやそれこそが愛ではないか。
なにをトチ狂って差別化するのかバカ野郎ども!

残酷さのなかに愛がある。
もしかすると、現実の残酷さは
その愛を生み出すための装置だったりするとしたら
神はなんとも残酷なものだろうか
それともそうでもしなければ
人間というものが愛に気づかないものであるとした
これはこれでとても残酷な話だと思うのです。

いまどき風の小理屈でこじくりまわせば
ザンパノを弁護することはそう難しくない。
むしろ手前の安全保障の布石として
いくらでも捲くし立てるでしょう。

そんな屁理屈はおよびじゃないんだ。
ただ、ザンパノは不幸な男だった。
それに尽きるよ。
彼にとっての現実や人生は残酷でしかありえず
そして不幸でしかなかった。だけ。
それだけ

そんなことよりも
わたしはジェルソミーナを抱きしめる。
あの陽気な綱渡り芸人のように
彼女を連れ去っていくのさ。
そして、二人の新しい『道』を往く
そんな夢に思いを馳せる。
「道」 ジェルソミーナ
http://www.youtube.com/watch?v=TIPVTznS_0E