あかんたれブルース

継続はチカラかな

その一言でダメにする破壊力

愛のビリビリ(7)


先の東京都都知事選の選挙期間中のことですが
朝、地元の駅前で宇都宮健児
日本共産党社会民主党緑の党新社会党推薦)
の応援演説が行われていました。
通り過ぎて改札に向かうその背中に
応援弁士が相手有力候補桝添要一候補に対する
人格批判を展開させた。

ちょっと聞き捨てならならない物言いだった。

わたしは別に桝添さんを応援してるわけじゃない。
たださ、政策批判だったらまだしも
相手候補を名指しでその人格をどうこういうのも
どんなものかなと朝っぱらかイラっとした。

そして、ああいう論法や手法は
結局は逆効果なんじゃないかなと思うのだけれど
夕刊紙みたいにああいうので納得する人たちも
いるんだろうなあと苦いものを感じました。

新潮や文春でさんざんやってましたね。
ナイフが趣味だとか、変態だとか(汗)
わたしゃ別に桝添さんが変態でもかまわない。
ちゃんと仕事してくれたら
黒い猫でも白い猫でも三毛でもチンチラでも
かまいません。

ところはかわって、新宿あたりかなあ?
報道で知ったのですが
田母神俊雄候補の応援演説で作家の百田尚樹
他候補を「人間のくず(みたいなものを)」
といって問題になっていました。

そこには百田さんがNHK経営委員であることが
問題の核になっているようでしたが
それと関係なくわたしは残念に感じた。

百田尚樹といえば大ベストセラーから
映画化もされた『永遠の0』の原作者だ。
わたしも読みましたが
ラストのどんでん返しでは嗚咽しちゃった。
久々の、浅田次郎の再来か!とかね
この作品に対する懸念や批判も強いですが
戦記や史実ものをよく読んでいる方々なら
ご承知のようにこの作品のなかに出てくる
各エピソードは有名なものばかりで
特別百田氏が何かの意図をもって注入し
仕立てたものでないことは一目瞭然。
逆にマニアにとっては手ぬるいと感じたかも。

それでも、戦争を美化していると
批判はとまらない。
その論説に違和感を大いに強めてしまい
いまの常識化した言論の不自然を感じてしまう
ものです。

で、あるのだけれど、だからこそ
「人間のクズ」百田発言に断腸の思いだった。
少なくとも言葉で勝負する作家が使うにしては
稚拙、浅はかすぎやしまいか。
わたしのなかで百田株はそこから大暴落
現在整理ポストにある。

これじゃあ関西のお調子者の元構成作家
じゃないか。
ふくろうの本とか学研本を資料にして
うまく構成したメロドラマに不覚にも涙して
浅田次郎の再来だなんて胸を熱くした自分が
恥しくさえあった。
小器用な作家の何者でもない。
NHKとか関係ないんだ。

宮城谷昌光だったら絶対に用いない。

的外れな百田・永遠の0批判の馬鹿論者たちと
歩調をあわせるようでなんか嫌なのですが
百田尚樹という作家のすっぺらさを
暴露する痛恨の失言となってしまったわけだ。

結局、田母神さんもえらい迷惑だったと思うし
そういうドラステックなモノ言いで
ニヤニヤしてるんじゃしょうがないと思う。

しかし、言葉って
恐いものだなあと改めて痛感しましたよ。