あかんたれブルース

継続はチカラかな

淋しい草原に埋めないでおくれ

愛する技術という発想(14)


人間が抱える孤立と自立の宿命に対して
その解決策もしくは据え置き誤魔化しに
恋愛・セックスをあげましたが
もうひとつ祭りを忘れていました(汗)

二月の中頃でしたか
うちのクラスでOBを招待しての宴会があった
クラス委員の立場上わたしが幹事をやったのですが
なにしろ病み上がりで自主的にアルコールを避けた
のですが、シラフで宴会に参加するっていうのは
厳しいものがあるものです。
さて、それにしてもだ・・・
この宴会が異常な盛り上がりなのだ。
平均年齢55歳のオヤジというより爺たちなのに
どこにこんなエネルギーがあるのか?
こっちがシラフなぶん余計にギャップを感じた。
その不思議をルイちゃんに話すと
みんな学生気分にもどってはしゃいでたん違う
というけれど、そりゃそうだけれど
それにして異常な熱気なんだな・・・

共同体から排除された中高年のものたちが
同じ立場の仲間と興ずる、これは祭だ。

以前、寅屋が江戸時代の日本人の社会では
三日に一度は何かしらの祭(祀り)があった
といってました。
これは日本人だけでなく古代から人間は
こういう祭事や儀式によって
共通の意識を共有することで
そのなかのトランス状態や熱狂で
憂さ(孤立の不安や恐怖)を忘れていたと
フロムは解説する。

なるほどね。

ただ、わたしは昔からこういう大人数の宴会やコンパの
馬鹿騒ぎ、喧騒が苦手だ。
へそ曲がりなんでしょう。根っからの少数派さ。
その傾向は若い頃に比べてぐっと際立ってきた。
エネルギーがないんだよね。
それなのにやつらは・・・余計に凄いなと
不思議に感じたのです。

みんなさびしいんだね。
不安だし怖いんだ。
そう考えるとなんか切なくもあるけどね。
確かに人間は一人では生きていけない
共同体の存在は必要です。
特に、自然との関係性が密だった日本人は
がゆえに宗教的な依存性が比較的小さかった
のでなおのことです。
これが日本の村社会の実体だ。
その日本人の社会でさえ、共同体は崩壊しつつある
という・・・最小の家族でさえも
もう逃げ場はないんだよね。

履き違えられた個人主義が私たちを追い込んでいく

そして消去法のように
恋愛とセックスが浮かび上がるのだ。