あかんたれブルース

継続はチカラかな

恋は堕ちたら仕舞いのはじまり?

愛する技術という発想(17)


下世話な話で恐縮ですが
さしあたって現代の愛の大敵は「飽き」だ。
そういうとミもフタもないのですが
百年の恋も永遠の愛も一瞬で醒める
精神医学ではそれをホルモンの関係と指摘し
恋の寿命を2年から3年説の裏付けにしていますが
わたしたちは芸能人とか
欧米人ではないので
気持ちが醒めたからといってホイホイ離婚とか
できません。
そういうのもあって
結婚に慎重になるし、恋愛にも臆病になってしまう。

それ以上に、めんどくさくなってしまう。

そんなことよりも
気持ちの不安をジレンマを取り除きたい
だったら愛なんて考えないほうが楽
という思想が生まれるのも、わからいでもない。
そこまでいわなくと
「若い頃はちょっと好きな人と
 セックスするのが好きだった」
というナイスな発言だってある。

ま、それも若い頃という期間限定の話で
「歳とともに」なんていう迷信は
現実的には非常に残酷で過酷な掟でしかないことを
誰しもが噛み締めるのだ。うっひひひっ
苦しむがいい のた打ち回るがいい
(お前は何者だあ?)
なにがほしい
薬かそれとも処方箋か
それとも愛か

恥しさもなく愛をくちにだすとき
そこで必ず持ち出されるのが
「でも愛だけじゃ生きていけないしねえ」
という現実的という条件が提示されます。

ただし、条件が付随するものは
その条件の変化によって即座に変化する。

フロムは恋愛を堕ちると意識する
その堕ちる恋愛じゃあ長続きしないんだと
釘を刺す。
本来、愛はそういうものじゃないんだよ、と。
冷水をあびせるのだ。
それじゃあ必ず、醒めるし飽きてしまうと。
それとも映画みたいな恋をしたいという願望は
愛の狩人になりたい願望なのか?
どこまでそれが許されるのか
個人差はあるでしょが
とにかく私たちはそれに奔走しているのだ。
百獣の王は常に腹をすかしている。

フロムは、愛を行動と言いきった。

その行動を受動態と能動態に区分けする。
懐かしいですね。中学時代の英語の文法だ。

ストレスというキーワードを持ち出せば
人間は能動的な行いにそれを感じない。
ストレスは常に受動的な日常のなかに生まれる。

愛は行動である。
それは能動的なものだ。

いやあ・・・えらいやっちゃ(汗)