あかんたれブルース

継続はチカラかな

奈良の大仏・・・へぇ?

愛する技術という発想(20)


先月ちょいと奈良まで行ってきたのですが
ちょうどいまテレビCMで奈良の薬師寺とかが
あれはJRのCMなのかなあ
興福寺とともに法相宗大本山
南都七大寺のひとつに数えられる。
てことなので日本仏教の老舗中の老舗だよね。
坊さんが経文もアコーデオンのように
パラパラやってるやつ。
そのCMのコピーに
「救いを求めて」云々と謳っておりました。

救いねえ・・・
http://www.youtube.com/watch?v=QGr8WYBKrFM

救いを願うということは
苦悩しているってことだ。
そう考えて、いったいどれほどの人たちが
そう思い願っているんだろうか・・・

最近テレビでは世界の果てのこんなところに
日本人が、という手の番組が多いです。
そういうのが大好きなルイちゃんから
よく話を聞きます。
電気もガスもテレビもインターネットもない。
極寒だったり熱帯だったり乾燥地帯だったり
温暖便利で快適な日本と比較したら
なんでこんなところに?
と思うでしょうが、行ってる人間は充足している。
じゃなかったら自ら行かないか。

そのいう番組を観て
憧れるとか、自分もいつか・・・という人たちは
どれほどいるんだろう。
まあ思うだけ
おおかたは、自分じゃあ無理
ああ日本に生まれてよかった・・・とか
でも実際にこの手の番組がウケているから
民放各社であれこれ品をかえてやってるわけだ。

わたしのクラスにゼネコンを退社してきた
おじさんがいます。
エリートコースを棒にふってと世間は首を傾げるが
本人曰く、あのままあそこにいたら
自分がダメになりそうだと思って決心したのだそうな。

昨日かなんかに放送したこんなところに日本人が
の番組内でも、そういう辺境に暮らす
五十代の女性が屈託のない笑顔で
人生は短い、だから
という理由をあげて今の生活に満足している
と語っていたそうです。

そういう人たちは少数派なのだろうか

気づけた人はいいよね。
また気づいただけでなく
実際に行動できた人は幸運だ。

気づきとは
それ以前からそこに至るまでの間に
きっと苦悩とか葛藤があったんだろうと思う。
今の世の中ではそういうものはマイナスと考えられる。
そう考えると変な感じ。

人間の喜びや幸せってなんだろう。

フロムの、
愛されることより
愛すること
という提案をヒントとして
考えてみると
この幸福な人たちはそれを選択したんだと思う。
まず、自分自身を愛すること
赦すことから
それははじまったんだと思う。


なんかきれいにまとまったな