あかんたれブルース

継続はチカラかな

感動するのは馬鹿げてますか?

愛する技術という発想(45)


ま、そういうわけでして
プライベートな話だったのでファン限定に
しましたが、抽象論だけではなく
そういった奇跡のような軌跡に
私たちは感動するわけです。

ということは、当たり前のことには感動しない。
有り得ないことに感動するのだ。
「有難う」という感謝の言葉はそこから生まれた
といわれます。
当たり前のこと
強いものが弱いものを力でひれ伏せさせる。
弱肉強食とか経済至上主義なんかじゃ
感動しないんだよね。当たり前だから
感動のない世界は味気ないものです。

普段クチにこそ出さないけれど
私たちは感動を求めている。
有り得ないことを体感したいのだ。

エスが布教したとき人々は必ずこう言った。
では証を示せ、と。
証とは奇跡のことだ。
それをどういう仕掛けでやったのかはわかりませんが
とにかく彼らはそれに納得したんですね。

感動は伝説となる。

もうだいぶ古い映画になってしまいましたが
チャールトン・へストン主演のスペクタルものに
『エルシド』という作品がある。
昨年の暮れにBSでやってて久々に観ました。
最初に観たのは高校生ぐらいだったかな
ほとんどストーリーは忘れてたけどね。

エルシドとは11世紀に実在した
スペインの英雄で伝説の人です。
当時のスペインはカトリックイスラム教徒に
二分される地域で、争いの絶えない地域。
そこに中東・アフリカから
本格的なイスラム勢力の大進攻が迫ってくる。
エルシドは国内のイスラム教徒を味方にして
一致団結して祖国を守った英雄だ。
有り得ない話として
スペインのキリスト教イスラム教連合で
本家本元のイスラム軍団を破ったのだ。

なんでこんな有り得ないことができたか
それはエルシドの祖国に対する忠誠心
イスラム教徒に対するフェアな姿勢
それが感動を生み力となった。
対して王室は薄汚い権力闘争に明け暮れ
エルシドは何度も裏切られる
にも関わらず・・・
民衆はエルシドを王にと望んだ。
しかし彼はそれを拒み
祖国のために戦う。
そしてその戦いのなかで重傷を負う。
敵に放たれた矢が彼の胸を貫いたのだ。
その矢を抜けば命は助かるのです。
しかしその矢を抜けば明日の戦いに
彼は立てなくなる。
エルシドが先陣をきらなければ
この戦いに勝利はない。
敵も味方もエルシドは死んだと信じている。

彼はその矢を抜くことを拒み
そして翌日の戦いに向かったのだ。
彼の愛馬は既に亡骸となった主人を乗せて
大群のイスラム軍のなかに突進していく。
敵は総崩れとなり
戦いはスペイン連合軍の大勝利となった。
民族や宗教や利害を越えたこの奇跡は
ただエルシドという人間の有り得ない愛の力による。

十戒、ベンハー、クレオパトラ・・・
古代中世をテーマにしたスペクタル巨編は
数々あります。
そのなかで『エルシド』は番付でいえば
前頭八番目か九番目ぐらいですかねえ
それでも偉く感動してしまったのだ。

それは、エルシドの生涯が
その生き様が、最後の選択が
有り得ないことだったからかもしれない。
どっちかというとイタリア人の血が半分の
わたしがそのときはスペイン人だったものね。
顔は北京原人ですが心はバレンシアオレンジ
いやアンダルシアの犬も歩けばボーっとなった。

こういう感動がないんだよね。
どころかこういう感動を疑う
きっと裏取引があったとか
実は妾が11人とか
あれはカツラだとかコラーゲンでしょ
整形してる在日だなどなど
でなくともこういう感動を危険視する。

世知がない世の中の原因は
こういったダイナミズムの枯渇にあるよね。
タイガーマスクを名乗って
ランドセルを贈ったことだけでも
数日経つとやいのやいの
あじゃらこうじゃらケチつける。
別に自腹きってやりたいことをやったんだから
やらないやつができないやつが文句いう
筋合いじゃねえじゃないか!
一応釘を刺しておくのが役割とか知性とか
はたまた色々な考えがあってもいいとか
どこにでも付く屁理屈ばかりが横行してる。
感動するやつは馬鹿だとばかりに・・・

わたしゃ馬鹿でもいい!
それがバカなら馬鹿で結構。
少なくとも自分の馬鹿さ加減には責任をもってる。
人のせいになんかしません!
わたしの馬鹿はわたしのせいです。

なに言ってるんだかわからなくなったな(汗)

わたしはただ感動したい。
有難うという言葉をたくさんいえる
人生でありたいな。

うすっぺらいセコイ話には
これっぽっちも眉も動かさない。
結構難しい人なんだ。
ああまた眉間のシワが増えていく・・・

村正~あ(この最後のオチがわかるか?)