あかんたれブルース

継続はチカラかな

注文の多い優しさと絶対の悲しみ

愛する技術という発想(53)
中島みゆきは知っている [誘惑]


 やさしそうな表情は 女たちの流行
 崩れそうな強がりは 男たちの流行
 本当のことは 言えない
 誰も 口に出せない
 黙りあって 黙りあって
 ふたり 心は冬の海

みゆき嬢の「誘惑」の一節から
やさしさ・・その流行かあ
そこまで知ってる人
そこまで先回りする女って
しんどいよな。

確かにやさしさがトレンドだったのかも

かといって
崩れそうな強がりをいう男って・・・
ああそういうことね。
いるわ(汗)

髪が伸びたので昨日ショートボブにした
わたしです(涙)

さて、
やさしさの万能神話
わたしがこれに気づいて冷や汗をかいたのは
『女盗賊プーラン』に登場する
主人公プーランのやさしいお父さんでした。
やさしいだけで娘が警官達にレイプされていても
ただ嘆いて神に祈るだけ
そのことをプーランは嘆くのだった。
やさしさは弱さと同化しやすく
弱さは裏切りに導くものです。
物事には必ず表裏があって長短がある
また過ぎればいいことなんてないんだよな。

だから愛に本当の、という冠・条件(形容)
が付くように、やさしさにもそれはある。
幼い頃はなかなかそれがわかないものです。

人当たりがよいこと無難なこと
そういった表向きだけのやさしさのなかにある
冷たさに気づいたときのさびしさは
格別なんだよな。
「言わぬが花よ人生は~」とかね。
寡黙で在れと風はささやく

 悲しみを ひとひら 
 かじるごとに 子供は
 悲しいと言えない 大人に育つ

言える人
泣ける人はまだいいよ。

愛や優しさに条件をつけましたが
対して、悲しみやさびしさは個人的なもの
なのでそれが付けられない。
その人にとっては絶対なのだ。
たとえどんなちっぽけな感傷であっても
比較は通用しない。

・・・まてよ
ということは愛とか優しさは
個人的という枠をこえるものなのか

ああ君よ小鳩よ
なにを悲しみ嘆くのかさびしがるのか
誰がために鐘はなる

から~ん ころ~ん からんからん ころん