あかんたれブルース

継続はチカラかな

蛇とピラフ

愛する技術という発想(59)


タイトルのノリは相変わらずの
ガス抜きのままですが
ターゲットはフロムの愛に絞られている。
なんかそう書くとかっちょいいねえ。
ときどき飽きちゃうんだよなそれだけ(笑)

ホントは今日は「腋臭とシャネルの18番」
だったのですが書いてて気分が悪くなったので
予定変更!


人間の性癖として、
比較(相対的思考)と過剰があります。

比較は何につけても比べて考える
それで一喜一憂ピンからキリの月とスッポン
まことに厄介なものです。

もひとつの過剰もくせ者だ。
これもどうしようもないみたいですね。キリがない。
もっともっと
http://www.youtube.com/watch?v=_JWqH6BxBdU

昔ノンストップママというコントがあった。
巨乳グラビアタレント 雛形あきこ扮する
ノンストップママが何かの作業中に没頭して
それが過剰に止まらないノンストップ状態になる
というもので、その目が表情が鬼気迫る
まるで荻野目慶子を彷彿さえる怪演だった。
わたしは一回だけキャベツの千切りのだけでしたが
なんかねえ・・・笑えなかった(汗)
恐いんだよなあ

ホラー漫画の伊藤潤二作品にそういうのがあって
なんでも過剰になる女性が色々と騒動を起こす
のですが、ちょっとしたタトゥーから
全身土人みたいな状態で登場する最後のオチは
恐いというか爆笑というかやっぱ恐い
シュールなモダンホラーでした。

世界仰天ニュースとかびっくり人間
だけじゃなくこういう過剰は多々あるものです。
巨乳の豊胸手術マニアとか美容整形
その悲劇の結果の扇風機おばさんなんかもその一例。

こういうの笑えないんだよなあ

節約、どケチが高じてとか
ゴミ屋敷なんかもその部類だよね。
精神疾患と指摘もされますが
哲学的にはこの過剰は人間の性だという。
つまり、もっと豊かにもっと便利にもっともっと・・・

よく言えば、極める、追及、探求、挑戦
と表現されるのでしょうが
戦争とかはこういったことも原因だ。
第一次世界大戦の風刺画には太った
ドイツ人とフランス人が武装して身動きとれず
握手できないというのがあったな。
軍備が過剰になったんだね。
最近とくに目立つストーカー(殺人)事件とか
方向性を失った愛の過剰だ。
いや、あれを愛といっていいのか大いに疑問。

そういったものにストッパーはないものか?
あるとしたら、「飽き」だ。
飽きるは人間の最大の短所のひとつで
愛の天敵でもありそうだけれどね。
皮肉なもんだよな。

茶店のピラフ
別に特に特別うまいわけでもないのに
ときどきみょうに食いたくなる
あの薄味の焼き飯と冷凍エビの食感が俺を誘惑する。
それ以上に喫茶店のミートソースとか
ナポリタンは強烈な魅力で
美味い店はホントに美味かったなあ
でもわたしはパスタは食べません。
たくさん食べ過ぎて食傷気味なのだ。
加えて我が家ではいつの頃からか週に一回
下手したら二回はパスタなのだ。
これは戦中派の人がたとえば開高健がさつま芋が
大嫌い(当時食いすぎたから)と似ていて
過剰摂取から拒絶反応を起こす。
簡単にいえば飽きたんだね。
じゃあなぜピラフは?
さほど特別執着しなかったから?

海軍だったか船乗りの世界の話なんでしょうか
砂糖を盗み食いした罰は砂糖を延々食わせる懲罰
だと父親に聞いたことがありました。

人間は感情に支配されるものです。
それは大なり小なり躁と欝のサイクルがある。
問題はその過剰性だ。

先日、『進撃の巨人』の名言集を視聴してると
「自分の欲求を満たすことを優先するのか」
という渇いた台詞があった。なるほどね

わたしたちは人間というものを
自分自身を、多少買いかぶっているのかもね。
結構いいかげんなものなんだと思うよ。
だから、そういうものを御すには技術がいるのだ。
あるがままじゃあなかなか(汗)