あかんたれブルース

継続はチカラかな

意地悪の松竹梅毒

愛する技術という発想(77)


「世の中は厳しい」から
「目には目を」の負の因果応報まで
http://blogs.yahoo.co.jp/djkxq447/55139674.html
http://blogs.yahoo.co.jp/djkxq447/55154201.html
の続きね。時間もあるからじっくりやります。

いわんとするところは、力の支配の効果効用信奉だ。

力といっても暴力だけでなく色々
お金の力とか権力階級とか立場とか
利害関係だね。そこに権威というものがある。
歴史のなかで近代化が進むにつれて
この権威というものが徐々に失墜してきた
このことは考え合わせれば納得できるでしょう。
昔の殿様、王様、貴族と平民、農民の関係。
民主主義の時代からその傾向はいっそう強くなった。
いまはほとんどが総理大臣を尊敬などしない。
安倍さん、福田さん、麻生さん・・・と
友達みたいにいう。
それが粋とされ、そして定着したわけだ。
そのくせ利害関係があるともう大変だ。
魚心あれば・・・だな

スターやアイドルも変わったよね。
そういうわけです。

しかし、とは別に、
この力の支配は純然とあるわけです。
それもわかるよね。

わたしはさ、別にこういった記事で当世社会事情の
分析をしようと考えてるんじゃない。
その目的を今ここで問われたら
「意地悪の撃破」だ。
「いじめの粉砕」「虐待の殲滅」でもいい。
パワハラモラハラの駆逐駆除」でも結構。
これらすべて力の支配の妄信にある。
そのことを伝えて理解して恥しく思って
自分だけはそういう方向に傾かないようにしよう
と、一人でも多く考えてくれたらいいかな
と思う次第です。

かといってわたし自身、力の信仰を100%否定できない。
そこんところで長く考えていました。
そこんところをどう表現したらいいのかと。
「甘い顔したらツケあがりやがって」と
家畜同然の対応とまた畜生同然にツケあがる類。
どっちもどっちがあって、が故の効率効果がある。
空海が慈悲だけでは民衆は救えないと
「怒り」の仏を持ち込んだのもそういう理由が
あるのかもしれません。
畏怖する心が必要なのだ。けれども
それは別に脅さなくともできると思うんだけどね。
わたしたちは家畜じゃないんだから。

この件、結論からいうと
母親のような(父親でもいいですが)
子育て(躾)の愛情表現で十分じゃないかな。
そんな難しい話じゃない。


人間は他者と関係するときにも
この力を頼りに手掛かりにしてしまう。
男女(恋人・夫婦)関係でもだ。
これはおかしい。おかしいから無理が生じる。
無理とは不自然ということです。
男尊女卑とか亭主関白、逆にカカア天下などでしょうが
最近のDVや虐待もこの延長からのものだ。
はは、断言しちゃったね。まいいや。

力の支配と依存かあ
それはそれでうまくいってれば問題なかった
んだろか?
そういうのを野放しにして放任してきたから
こういう意地悪な社会になってしまったのではないか?
なんて考えてしまうのだ。

近代化の捉え方が誤っていた。
こういう指摘もできる。
とすれば、改善の可能性は大だといえる。
であるとすれば、
意地悪に市民権を与えてはいけない。

意地悪な振る舞い
それはとても恥しいことだと思うよ。
所謂、見識を疑われること。
ところがそこに妙な大義名分が付随してたのが
事をここまで曖昧にさせ、そして拡大解釈させ
こういう底意地の悪さを世の中に蔓延させた
といって、過言じゃない。
と、わたしは、考える。

何が意地悪で
何がそうでないか
なかなかジャッジは難しいかもしれませんが
受け取る相手のことは別として
(受けてのことはこの際どうでもいい)
行う本人ならば、できるんじゃないかな。
(大事なのは行使する側の姿勢)

それはそれで難しいと思うよ。
でも、無理じゃない。
できる。

フロムの愛するという技術、その習得には
そういうことが含まれている
と、わたしは、思います。