あかんたれブルース

継続はチカラかな

ジョーカーだって味方

愛する技術という発想(80)


『雨あがる』を観て不思議に思った。
これも一応黒澤作品とするならば
小品ながら
非常に良いできばえなのです。

以前、『海はみていた』を大絶賛しましたが
これも黒澤明が制作に着手しながら
途中で他界してしまった作品。

わたしは、晩年の黒澤作品をあまり評価しない。
どですかでん』以降
もしくは世界の黒澤として頂点を極めた以降
面白くなくなったんだよな。
それに気づかせてくれたのは『影武者』だった。
『夢』とか『まあだだよ』とか途中寝てたもん。

認められて
思い通りにいくようになると
つまらなくなる?

同じことが宮崎駿にもいえなくはないか。
ハウル以降とんと面白くない。
コクリコ坂は吾朗さんだかんね、一応。
風たちぬは恥ずかしながらまだ観ていない。

石岡暎子は完璧な仕事をするために
自身が納得する完璧なスタッフを組む。
往々にしてそここには必ずジョーカーが存在する
それを彼女は許さない。
そういう力を持っていたわけです。
日本社会では無理だけどハリウッドなら可能だと。
そのことに対して五木寛之
それでは自分の限界を超えらにではないかと
釘を差した。

しかしこれってクリエイターにとっては
由々しきことだよね。
もっと危惧するとすれば、
巨匠の存在が大きすぎて
例えばジブリに人が育たない。
そのことで一番頭を抱えているが
鈴木プロデューサーなのかもね。

要は思い通りにいかないなかで
必死こいてやった結果が自分の力量を超えた
ものを生み出す、ことがある
が、思い通りにいくと
自分の力量を超えることは決してない。
なんとも皮肉なものですな。

ところで
北野武は面白いのか?