あかんたれブルース

継続はチカラかな

娑婆に戻った馬太郎の雑感



さて、8月20日から42日間
9月30日を持ちましての、つまり昨日正午。
馬太郎の入院生活もお仕舞い、退院です。
幸子がクルマで迎えにきてくれたので
途中、ステーキ食ったりたこ焼き食ったり
最後はクリーム白玉なんとか?でした。

まるで鑑別所から出所した少年だね。
『ガキ帝国』にはそういうシーンがあったなあ。

でいまは自宅からなんだけど
昨日は夕方帰宅してどっと疲れてしまって
すぐに床に入ってしまった。
入院で体調はよくなったんだけど
体力がおちてしまってる。
すこしずつ体鍛えないとね。

今回の入院生活を振り返ってみて
まず、有難かったことは担当医二人の
(腎臓内科のH先生と肝臓内科のO先生)
よい医師にめぐり会えたことに感謝です。
これもこの医療機関の雰囲気、環境がよかったから
という捉え方もできますが、それだけじゃない。
カーテン越しに聴こえる他の患者さん担当医の
対応にはそれぞれ個人差もあったりして
それと重ねれば、自分は恵まれていたなあと
何度も思うのでした。

わたしの担当医の二人は
腕がいい能力が云々以前に、誠実さが真面目さが
伝わってくる、心底信頼できる医師だった。
多少真面目過ぎるきらいはあるけどね(笑)。

たぶんわたしより若いんだろうけれど
その顔を表情を声を観察しながら
ああ、こういうタイプって昔クラスにいたよなあ
となんか懐かしい錯覚もあって
こういう人と友達でいたいよなあなんて
変なことを考えてしまう自分がいた(笑)

以前、この病院で眼科を受診したことがあります。
そのときも地元のかかりつけの医師が大騒ぎをして
「このままじゃ失明するよ」と脅されての
ものでしたが、訪れたこの病院の村上先生という
けっこう歳いった先生に精神的にも救われたものです。

なんだかんだいっても途方に暮れる患者にとって
そういう医師の言葉は救いになります。

退院前日に最後眼科の確認診療があって
その待合室で看護士に
あの村上先生はまだいらっしゃるのか?と聞いた。
今年四月で定年退職されたそうです。
それでも、現在も嘱託として回数は少なくなたけれど
担当を受け持っているとか
三年前にほんの数回受け持った患者のことなんて
まったく記憶にはないでしょうが
その患者はいまでもあのときは有難かったと
忘れないでいる。そういう人ってそういう仕事って
素敵だなあと思う次第です。

今回の入院に関しては極力周囲には知らせなかった。
どうしても伝えなきゃならない例外はありましたが
そのなかに、高田のオヤジがいた。
この人、ジェットコースターのような人生を、の人で
もと一流企業の広報マンだったのがうつ病
転落し何もかも失って今は公営住宅の一人住まい
年金と細々と管理人の仕事をしてしのいでいる。
歳はわたしより一回り上の67歳だ。
融通の利かない一本気の正直者で不器用な人なんだけど
なんか気があうんだよね。
その不器用さ、愚直さのせかもしれない。

そんな彼と二年前の正月だった大喧嘩しましてね(笑)
喧嘩というかわたしがその不甲斐なさに激怒して
ってところです(汗)。張り倒してやった。
そうとう面食らったみたいですよ(笑)

その後、何度もケータイで謝罪を受けたけど
わたしはおさまらない。
一度へそ曲げると難しい人なんだ(汗)

が、なんでこの人と出会ったのか付き合ったのか
なんて考えてね・・・和解した。
その後、彼が義理堅いことをやってくれて
雨降って地かたまるで、信頼の幅が一気にひろがった。

今回、入院のことを知らせたら
わざわざ見舞いにきてくれました。
見舞金ののし袋をもってね。
いらないというのに
なんじゃらかんじゃらいって置いていった。
後でなかをみたら五千円入っていた。
そんな楽な生活環境じゃないのに・・・
金額の問題とか内容じゃないんだ。
落ち着いたら高田のオヤジを誘って飲みにいくこうかな。

JJ.も下着もって見舞いにきてくれた。
あれだけ手厳しくやったのにね。
また、ブログの関係で力強いエールをくれた人もいました。
有難いことです。

こういう性格なので人付き合いは広いほうだと思う。
正確にいえば、だったかな。
広ければ広いほどいろいろだよ。
広ければ多ければいいというものでもない。
なかにはどうしようもないのやらうすっぺらいものとか
それはそれでいろいろなのだ。
そういうのをネットワークとかいうのはちょっとね
抵抗があるものです。
わたしはそういうのもう疲れたほうなので
あるときからコジンマリした付き合いを心掛ける
ようになりました。もっと大切にしたいと。

人間ってものは振り子のように
ちょっとした環境に影響され左右どちらかに傾く
ものです。だからその環境っていうのは大事
なのだけれど、それは環境や条件だけでなく
その人の姿勢によるところが大きいのも確かだ。

華麗なるギャツビー』で主人公のトムは
そういう喧騒のなかに身をおこうとして
酒に溺れ精神を病んでしまう。
そういう環境にあわせることに無理があったのに
その環境にあわせることを選んでしまった
弱さが彼を破壊に導いてしまった。
それほどに自分を保つことや見失わないでいることは
楽なものではないと思う。

よくわからない常識や普通が横行している。
それに異を唱えればたちまちターゲットにされてしまう。
攻撃する側も必死なのだ。
それを認めれば許せば、自分を否定しかねない。
そういうのは話せばわかるというものではなく
話すには話す相手をちゃんと吟味して選ばないと
いけないのだ。
掃いて捨てるようなどうでもいい人々を顧みることはない
とわたしは思うよ。
それよりももっと近くにいる健気な人たちを
大切にするほうが大事だとね。

それぞれがご縁というもので
様々な人と出合う。それが人生です。
その出合いには必ず意味がある。
長い人生のようで、そこで出合う人の数は限られていて
有限のなかにそれはある。
すれちがってそれっきり二度と会わない人だっている。
どんな人と出合うか、誰と結ばれていくのか
それはすべてその人の姿勢の問題であって
責任なんだと思う次第です。

素敵な人に出会った歓びには
そういう因果があるのだと思う。
もっと素敵な人を引き寄せられるように
そんな人生であったらいいなあと思うわけだ。
幸せっていうのは、そういうところに
あるんじゃないかなあと。

さて、馬太郎の第二章のはじまりだ。
これからちょっと忙しくなる。
片付けてしまわないことが山積みです。
乞うご期待。