あかんたれブルース

継続はチカラかな

晶子の残り香



「哲学」なんてもう死語に近い
寝たきり老人の戯言扱いなんでしょうが
この言葉は明治文明開化において渡来した
大量の外来語のひとつで止むに止まれぬ状況から
西周らが脂汗を流して生み出した造語のひとつ
「愛」とか「技術」とかと同じだそうです。

では、それまでの日本人に哲学はなかったのか?
愛はなかったのか?技術は?
そんなことはない。みんな悩んで大きくなって
愛に葛藤し、技術を磨いていたわけだ。

それがいつの間にか形式化し様式化して
権威となってしまった、その結果
つまらなくなってしまった。
仕事のための仕事、会議ための会議、
議論のための議論みたいなものでしょうかね。

人間は考える葦なんて申しますが
なんのために人は考え悩むのか?
それを人間にとって「切実なこと」と
する向きもあるようですが
池田晶子ソクラテスの言葉を借りて
「そんなのナンセンスだ」とバッサリ丸刈りだ。

思わず膝が笑ったよ(笑)がくがく

自分もこれまで、自分が何者でどこに行くのか?
なんてこと考えて悩んだこと一度もない。
わたしは馬太郎で今日は北千住から五反野
明日は駒込にいきます。
実は自分はあの無法者の母の子ではなく
フランス人とイタリア人の愛の子で
ワケあって電気釜に入れられて流されて
拾われて育てられたという赤い伝説は
ネタとしては使うけど、本当は信じていません。

ことほど左様に、哲学なんてものは
万人に必要な、必須のものじゃなく
考えないでいい人はたくさんいるんだと
だから世の中は回ってるんだと
晶子は喝破からげてハムサンド。CQCQ
こちらホワイトロック

いやあ池田晶子って素敵な人だなあ
同年代かあ、もし彼女が早生まれで同じクラス
だったら楽しかっただろうなあ・・・
「馬太郎君この間貸した本読んだ?」
「ああ副委員長(なぜか)すみません遅読で(汗)」
「だめじゃない。早く読んでこれも読んで!」
「『出家とその弟子』ですか(汗)
 この間の『三太郎の日記』も難しかったのに
 てっきり日本昔ばなしかと思ったのになあ」
「あのね、畑正憲は中学でわかったってことよ
 あなた高校生でしょ、しかも三年生」
「俺とムツゴロウさんと一緒にするなよ
 俺は馬太郎だ」
「ふ~ん、なかなか哲学してるじゃない
 ねえ、君にとって哲学ってなに?」
「えええっ、また難しいことを(汗)
 ま、しいていえば、」
「しいていえばあ?」
「間尺にあわない世の理不尽の嘘っぱちを
 ひんむきたい、ぐらいかなあ」
「でもみんなは嘘が好きなものよ
 特に女はね」

な~んてマセた学級副委員長いましたよね。
早熟というか頭いいんだよなあ。
こっちはウダツのあがらぬ万年劣等生
なんであの子は俺なんかにチョッカイだして
くれたんだろう。
借りたままの『三太郎の日記』
結局返しそびれてしまったなあ・・・

読書の秋だそうです。
遠い昔のまぶしい季節を思い浮かべて
秋の夜長に頁をめくれば
麦こがしの匂いがしてくる