あかんたれブルース

継続はチカラかな

今日のクサンビッチは冴えわたる



孤島の哲学者ウマタロスは何かあると
クサンビッチに訊く

ウマタロス「阿佐田哲也知っとるけ?」
クサンビッチ「知らん」
ウマタロス「麻雀放浪記とか知ってるだろ?」
クサンビッチ「それだったら聞いたことある」
ウマタロス「それを書いた人だよ」
クサンビッチ「腹減った」

阿佐田哲也という作家はわたしら世代には
一種のカリスマ的存在だった。
様々な修羅場をくぐってきた
ギャンブラーでアウトローで病気持ち
シャイでストイックで異性同性問わず魅了する
やさしい眼差しの独特の美学を有するこの男は
色川武大という実名で
第二回中央公論新人賞を受賞する作家でもあった。
後に直木賞をはじめ数々の文学賞を受賞するのだが

持病が悪化し、長期の入院を覚悟した彼は
その入院費を捻出しようと一回だけと誓い
朝だ徹夜!のふざけたペンネームで
書いた麻雀小説が受けてしまい
そこから抜けられなくなって阿佐田哲也という
二束の草鞋履いたアウトロー作家が誕生する。

こらクサンビッチ寝るな!

亡くなってもう25年ぐらい経つかなあ
それでも彼を信奉する人は多いのではないか?

クサンビッチ「アタシは知らん」

勝負師としての厳しさとは裏腹に
その雰囲気はソフトで、やさしい。
彼のなにかのエッセイで
「私(阿佐田)のようなフリーランス
 先(未来)のことなんか考えない。
 今日を、この今を、どう切り抜けるか
 それで手一杯なんだ」というようなことを
読んだ記憶がある。なるほどと頷いものさ。

クサンビッチ「それはアタシも一緒やで」

現代人はどうも先のことばかり考える
考えすぎる。それに目を奪われたり目を回したり。
また、そうじゃない生き方を無計画とか短絡的
蟻とキリギリスのキリギリスをみろ!
みたいに説教されるのが常識だ。

クサンビッチ「アタシは猿やないリスや」

ま、とにかく阿佐田哲也はそうではない(汗)。
そりゃあそうだよね、なんたって阿佐田哲也
なんですから。
バカなオヤジに持て囃されるチョイ悪オヤジ
とか不良中年なんてそんなセコイもんじゃない。
阿佐田哲也なのだ。

クサンビッチ「それがどないしたん」

勝負師として生きてきた阿佐田さんの
その眼差しはただやさしいだけじゃない。
それを裏付けるようにこんな言葉を残している
「本当に勝ち抜く奴は、生まれたときから
 いかなる意味でも、
 祝福されたことのない者でなければならない。
 誰を愛しても愛されてもいけない」

クサンビッチ「当然やな」

えっ! 当然なのか?

クサンビッチ「当たり前やないか
  そんなんじゃ勝負のカンが鈍るやろ」

なるヘソ。冴えてるねえ
阿佐田さんは自身のことを
特定の人を愛せない体質だといっていた。
彼の愛の対象は人類全体とか、いやそれ以上の
動物や生物全般と範囲がひろがるのだとか。
それはとてもひろい、と同時に浅いわけだ。
そこに差をつけて特定の誰かを愛そうとすると
黒々とした自分自身が立ちふさがるのだと。
引っ込み思案で一種のナルシストがあって
生一本で人を愛せないのだと。

クサンビッチ「その阿佐田というおっちゃんが
  どんなに偉い人なのか勝負師だったのか
  アタシは知らんけど、彼自身そんなに
  自分のこと偉いとも思ってなかったやろうし
  また勝負師として一流でもなかったんやない。
  勝ち続けていたら、きっとみんなをうならせる
  文章なんか書けへんとちゃうやろか。
  その残した言葉には
  そういうニュアンスがあるやんか」

おお、クサンビッチ・・お前は鋭い。
流石は元学級長
ポンコツタツのコードも2本買う。
常人には真似できない。