あかんたれブルース

継続はチカラかな

都合のいい相手、求む。



誰がいったか知らないけれど
「依存していいのは、神様と伴侶だけ」
というアドバイスに、速攻納得して
そこから二、三歩ふらついて
困ってしまうアカンタレがいたと。

「素直な人なんやね」

素直はいいけれど、それも過ぎるとねえ(汗)
力業で乗り切ろうとするガッツが仇となる。
武田鉄矢がよくテレビで言うように
「人」という字は「/」の字と「\」の字で
支えあってできてる、ものであり
そんな象形文字の起源まで遡らなくとも
『人間は一人では生きていけない
 支えあって生きていくもの』
というのは数ある眉唾真理格言正論のなかで
正鵠を射る掘り出し物ではないだろうか。

「依存という言葉に後ろめたさがある」

これには教育指導方針の踏み込みの甘さがあって
『人に迷惑をかけない』つまり『自立』だけが
一人歩きしてしまったトレンドにも
原因はあるんだろうねえ。
要は、その度合いとセンスと相手によるんじゃないの

「傾向と対策の問題かいな」

甘えるというのもマイナスに捉えているけど
でもこの甘えるってケッコー難しい。
甘え上手というのは本能的に相手のキャパを
察してその範疇で甘える。

「値踏みするんかいな」

アップアップしてる人に相談事をもっていっても
それどころじゃないから
迷惑がられるのがオチじゃないの。
そういうのは相手の立場を察せられない
自分勝手なアマエタさんでしかない。

「そりゃ身近にそういう人がいればいいけどなあ」

そういう相手、つまり依存できる相手を
その度合いに応じてどれほど把握し
持ち得ているかが大事なんじゃない。
そういうのを抜きにして、神様と伴侶だけ
という論法はガサツすぎるよ。
正論のようで暴論だ。

「要はスタンスとバランスとセンスかいな」

おっ、察しがいいねえ。

「そやけどなんだかんだボヤキたいもんやで」

何をどのように誰に、じゃないの。
酔っ払いに相談するなとはオフクロの遺言だ。

「お母さん生きてるやろ、罰当たりめが!
 だいたいな、男ちゅうーもんやな
 なんでも意味をもたせて、解決させようとする。
 女ちゅうもんは別に解決できへんでもいいねん。
 聞いてほしいだけやねん。
 そんなこともわからんでグダグダ屁理屈ばっかり
 こねくり回されてもウットオシイだけやで」

う~ん、そこに性差はあるんだろうけれど
とは別に、依存にはそういう鉄則というか
ルールみたいなものがあるんじゃない。
それは男だろうが女だろうが同じじゃないかな。
「間」の取り方であって、
言ってスッキリするのならそれでもいいけど
垂れ流しの堂々巡りに付き合わされる方も
つらいよね。
そっちのほうがウットオシイのかもよ。

「それがキャパやろ。包容力ちゅうもんや」

それを配偶者に求められるわけだ。

「そんなんやったら苦労せえへんわ!」

てけてんてんてん