あかんたれブルース

継続はチカラかな

落第仙人と呪いの多重債務者

分福もののけ漫遊記(2)


それから夜ごと杜子坊のもとに
あの狸がやってくるようになりました。
この狸、名を分福と申します。
大変な大めし喰らいで
スイッチが入ると尋常ではない。
要するに杜子坊のところに
タダ飯を食いにきてるようなものです。
分福はご機嫌なときはゴロゴロ甘えてくる。
それが一転不機嫌になると毒づき噛み付く。
その起伏の激しさに杜子坊は驚かされたのでした。
満腹になればご機嫌で
空腹だと不機嫌で当り散らす。
単純といえば単純ですが杜子坊には
なにやらわり切れないものがありました。 
それは単に空腹満腹というだけ理由じゃ
ないようです。
噛み付くときに分福は杜子坊の顔色を窺って
歯を立てている。
どこまで大丈夫か確認しているようです。
その歯が肉を通して骨まで達し
思わず杜子坊が「痛えだろうバカ!」とでも
言おうものなら途端分福は泣き出して
始末に負えない。

は~はん、これも呪いのひとつだな。
そういう呪いが巷にあることは知っていました。
当時も世の中には呪いがあふれていた。
それは不信や不安や怖れから生まれるものでもあった。

分福の場合は狸になって茶釜を背負うという
レアケースではありますが
人それぞれケースバイケースのオーダーメイド。
河童の呪いがかかったもの
豚足の呪いがかかったもの
人間性を否定して自ら石コロに成りすますもの
夜叉に成りすますもの
それを自覚するもしないものまで
まったく呪縛狂時代だったのです。

当時の人たちはこの呪いを
「病」と解釈したようです。脳の病気。
この頃の唐ではそういう病(呪い)を
治療する薬師の店が大繁盛していた。
おかげで呪い封じの仙人の存在は
すっかり忘れ去られていったのです。
仙人はどちらからといえば
妖怪退治と考えられていましたからね。
非科学的で時代おくれなのです。

薬だけでは呪いは解けないのだ。
それでも薬師や呪縛者は薬にたよってしまう。

仙人落伍者ではありますが一応修行をしてきた
杜子坊なので、分福の呪いを解いてみようと
お札や呪文や虫下しとか
いろいろ試してみるのですが、効かない。
なかなか一筋縄ではいかないようです。

そういうなかで、
昔の仙人学校の同窓生が訪ねてきて
杜子坊の変化に気づきます。
「お前、なにやらもののけ臭いぞ」
杜子坊は分福のことを話しました。
「馬鹿な、妖怪を退治するのが仙人の勤め。
 そんなものと関わりあうなんて」
と旧友は呆れてしまい、とにかく
その狸を殺せといいます。お前のためにならないと。
仕舞いにはとり殺されてしまうぞと脅すのです。
「僕は仙人じゃない。
 だからそんな役目なんか関係ないんだ。
 それにあの分福は人間なのだ。
 呪いがかかって妖怪になっているだけだから
 僕はその呪いを解いてみたいと思う」
「ふん、勝手にしろよ。
 仙人を挫折した半端者の君に
 何をどうできるものか。
 後で後悔でしないように、忠告してやったのだ」
と旧友は杜子坊の庵を出て行った。
それは彼だけではない。
それがその当時の、いや現代であっても
世の常識というものでした。

それでも、杜子坊は淋しくはなかった。
マイノリティーである自分がこの世に淋しさを
感じてしまうのは当然の理であり、
同じようにその淋しさを感じ共有できるものが
この世にいるのならば癒される救われる。
それが分福なのだと理解していたからです。
分福を見捨ててしまうことは
自分自身を孤独の奈落に貶めてしまうことでもある。
それは死よりも怖ろしいことだった。
それを依存として批判するものもいるでしょうが
人間は一人では生きてはいけない。
孤独であればこそ孤高であろうとすればこそ
そのことを痛感している杜子坊だったのです。

ましてや、こんな自分を頼りにしてくれている
分福をひとりぼっちにすることなどできない。
これはもしかすると分福の呪いが
自分にもふりかかってしまったのかなと
思わないでもなかったけれど
もしそれならばそれでもかまわない。
一人で背負う淋しさよりも
二人で背負う道行きならば、それもまた
楽しいではないか。
たとえその先が地獄であったとしても
と思う杜子坊だったのです。

翌日、杜子坊は分福とともに
洛陽の都から旅立った。
「杜子坊、どこに行くのですか」
「南へ、楚の新城を目指そうか」
「そこになにがござる」
和氏の璧という宝玉の原石があるという」
パワーストーンで一儲けでござるな」
「お前の呪いを解くのだよ」
「解けますか」
杜子坊はそれには答えず歩みはじめた。
そして一人語りのように
「なにかの糸口をつかむことには
 なるのではないか」と呟いた。