あかんたれブルース

継続はチカラかな

ホームレス仙人徐福の福音

分福もののけ漫遊記(22)


一通り話を聞いた徐福は意外なことを言った。
確かに分福には呪いがかかっている。
その数、54。正確にいえば108の呪い
煩悩ともいう。
先回現れた過剰将軍モットモットは
そのなかのひとつで、人間の煩悩のなかの
「過剰」を司る陽神だという。
これには陰神が対になっていて
それを物臭将軍グーダグダというそうな。
それと南京サーカスで分福に起こった現象も
羞恥将軍クーネクネの仕業なんだという。
この108体の祟り神は亡国の兆しとして
天から使わされる鬼神であると。
いや天から使わされたいうのは語弊があるな。
国が乱れるには四患ありという。
それが「偽」「私」「放」「奢」じゃ。

「偽」は偽善、偽装 偽物の類。
「私」は私利私欲、自分勝手の自己中だな。
「放」は放任、放蕩、無責任を表す。
「奢」は 驕り、飽食虚飾などなど
是、すなわちすべて人間自らが生み出した
悪しき煩悩の権化であると。
108の鬼神たちはそこに巣食うものであると。

それがこの世に蔓延すれば、国家は亡ぶ。
杜子坊、お前がいた唐もそれを免れなかった。
そしてこの明でさえも例外ではない。
その先のどんな国が支配しようとも
これは変わらぬこの世の法則なのだよ。
そして、それは国家だけではなく、
人間個人にもいえることなのじゃ。
それがこの呪いの正体だ。

「ただ、この分福の呪いは
 そういう類のものではないようじゃな」

「といいますと」

お前がいうように和氏の璧を用いても
なにも変化は起きなかった。
では、それがこの分福の本質かといえば
そうでもあるまい。
その鄭和と申すものがいうように
またお前が考える通り、これは天命かもしれん。
「それはなんのために」
「救いじゃ」
「救いと申しますと」
「現にお主は救われたのであろう」

この108の鬼神を54と表現したのは
それぞれに陰陽のオスメスがあって
それが融合して一対となる。
108÷2=54なのだ。
世人はこの煩悩を断ち切ろうと苦行する。
それを意識することはいいのだが
方向性が逆なのだ。分断対立ではなく
融合でなくてはならない。
なぜならば、どんなものにも長短があって
どちらに転んでもいいものではない。
たとえば、
過剰将軍モットモットが栄えれば
それは限りなく止めどなく破滅まで続く。
かといってそれがなければ発展も発達も
進歩もない。
それが物臭将軍グーダグダなのだ。
なにかと言い訳や理由をコジつけて
なーんもしない、無関心、先送り、事なかれ主義
ご都合主義のぬるま湯にどっぷりなのさ。

どちらがいいとかわるいとかじゃないのだ。
これを融合させて、ちょうどいい具合に
調和させたところでバランスがとれて
二神は共生できるのじゃ。
片一方だけではダメなのさ。わかる?

「わかります。わかりますがなぜ、
 なぜ分福が・・・?」

分福のなかにはこの108の祟神が巣食っている。
常人であれば狂っておるはずじゃ。
それがまだ正常であるのは
狸の愛嬌と茶釜が肉体を守っているからだ。
それを与えたのは天ではないか
それは宿命としての呪いでもあるだろうが
天命でもある。
現にお前達は分福を思いこうやって共に活きている。
そうだろう権耳。
「パピ」

不信の時代、環境にあって
信じること、労わること、愛することは
人が生きて往くうえでの篝火である。
その一灯を分福は照らしているのではないか。
そして、その灯を消さないように
守っているのが、お前達の役割とすれば
これも天命といえるのではないかな。

「いやあ目からウロコでございます。
 守っているようで守られている。
 持ちつ持たれつなのでございますな」

人とはそういうものであって
一人では生きてはいけないものなんだよ。
そこに強者や弱者の隔たりはない。
そこにも「比較」という煩悩の鬼神が存在している。
分福の呪縛を解くというのことは
分福の苦悩厄災をふり祓うことでもあるが
同時に、お前達やこれから出合うであろう
多くの者たちに救いを与えることでもある。
これが「理」というものなのだ。

「おい、聞いたか分福、あれ?」

分福は寝息をたてておりました。

パペパ(ありゃま)