あかんたれブルース

継続はチカラかな

恍惚の人の風景



母親の病名は心不全だったのですが
とは別に痴呆症という問題が横たわっております。
87歳ですしね、しょうがない。
うちの母親はいわゆる「まだらボケ」というやつ。
瞬間的に物忘れしたり
その日によって症状も違うみたいです。
それと耳が遠いので意思疎通がなかなか難しい。
ま、若い頃から天然のボケ気質だったこともある。
そういうのに拍車がかかってるわけです。
実家に帰ってたときにジブリの『ハウルの動く城』を
やってたんですが、あのなかの荒地の魔女
恍惚と達観(ほとんどが恍惚ですが)を
繰り返す・・あんな感じ?
いやそこまでの達観はありませんし
あそこまでひどくもない。
大らかに接すれば面白可笑しいのですが
それが続いてひどいと腹もたったり
ま、それも血縁親子だから成立するのかもね。

母が退院してしばらくして
遠縁の従姉妹を施設に見舞いに行くことにしました。
祖母同士が姉妹なのですが近所で姉妹のように
育った間柄です。
わたしも幼い頃からよく知っているおばさんだった。
しっかりした優しいおばさんでしたが
彼女がボケてしまい今はグループホームにいるとか。
わたしが同行して見舞いに行くことになったのです。

こっちのほうは完璧に記憶障害を起こしていた。
そして自分(彼女自身)の母親のことばかりを
気にして心配しているのです。
彼女の母親が亡くなったのは半世紀も前の話なのだ。
すっぽりそこから現在までの
50年間の記憶が消去されてる。きれいさっぱり。
当然のようにわたしのことも憶えていません。
何度も何度も「ハンサムだ」とか
「若い」とか連発して繰り返しいうのだ。
うちの孫娘の婿にどうだろうかと(笑)
悪い気はしませんでしたけど
純粋で正直な感想か
ボケ老人の戯言なんですけどね。とほほ

彼女の容姿は中身とは裏腹に色艶がよく
綺麗に歳をとっている。まるでペギー葉山みたい。
対して傍らの母はしわくちゃのチンパンジー(涙)
新品の底の抜けた土鍋と
サビだらけフタのないヤカンみたな二人を見比べ
どっちがいいのやらと感慨深いものがあった。

面会してたのは小一時間ぐらいでしたが
その間なんどもなんども彼女は家に帰りたいという。
それは自分の母親が寂しくしていないか
そのことばかり気を揉んでいるのです。
だから一緒に連れて帰ってくれないかと
お願いされるのですが、できない相談ですものね。
なんかせつなくなってきちゃってね。
傷の付いたれレコードのように
永遠に続くリフレインに堪えられなくて
そろそろお暇しよと母を促した。

あんなにしっかりしてた叔母さんがこうで
そんなにしっかりしていなかった母親もこう
ボケるボケないは別としても
人間は確実に老いる。そして死ぬのだ。
当たり前のことなのですが
そのことしみじみと痛感させられました。

わたしの母親は元気です。
元気を取り戻しました。
まだ歩みは覚束ないけれど日増しに回復していく。
ふたりで茶の間でチグハグナなボケとツッコミで
けらけら笑う。笑える。
まだマシなほうなんでしょうねえ。

高齢化、介護の問題は
わたしのところだけじゃなく
大きな社会問題となっています。
そのなかでどう向き合うか付き合っていくか
そのスタンスによって状況も違ってくると
思いました。

ときおり母が艶っぽい懐メロを歌いだします。
そんな癖は以前はなかったのです。
一人暮らしが長かったせいで身についたのでしょう。
「お前がいるうちはいいけれど
 いなくなったらまた淋しいねえ」
なんていわれると立つ瀬がないよ。
こっちに帰って雑務を片付けたらまた早々に
母親のもとに戻ろうと思っています。

愛を償えば重荷になるから
テレサテンの歌が過ぎったぜ。